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編集者≠クリエイター

先程、物書き関連のとある勉強会にオンラインでお邪魔してきました。

詳細は省きますが、今まであるようでなかった「編集術」をテーマにいろんなお話を聴きました。

以下、箇条書きになります。
自分へのアウトプットになりますので、かなり読みづらいです。

<メディア>

・メディア媒体→器そのもの
・器の上(紙面上、ブログの中など)で暴れまわる
・現代→紙面からの解放。自分たちの手で器(媒体)を作る?
・地域の宝箱→編集の手法を使って箱の中身を開ける
(地方は編集的視点の宝庫)
・メディア媒体の役割の変化
(cf.紙→「速報性」から「既存のモノを掘り下げる」メディアへ)
・紙×ネット=両方の兼ね備えは困難→その上の編集技術がない
(一方で、それぞれの強みを活かすことは可能)

<編集とは>

【編集の役割】
・街や場所、クリエイターのつなぎ目をする黒子的な役割
(≠クリエイター、表現者)
・表現者とは別の視点を持つ
・情報過多の時代でも、地域(ヒト)の良さを見つけきれていない
⇒「取材」を通して見つけていく
・テーマを誰にどう伝えるか
・分かりやすい表現で、深く真面目に愉快に追求する(重要)

【編集でできること】
・取材、ライティング、構成、人脈(仲間)づくり
・取材をすることで何かが生まれる
(ex.取材対象者の生き様や人となりに憧れるなど)
・みんながワクワクするきっかけを作る(でも、表現者ではない)
→仲間が持ち寄ったアイデアをまとめて形にする
「地域の編集」が人を育てる
・インタビューは魔法の技術
(「取材」を理由にいろんな人からいろんな話が聞けるから)

【編集の視点】
・独特な視点、オンリーワンな視点を外にいる人達向けに発信する
・何気なく過ごしている地域から見過ごしているモノにスポットを当てて、掘り起こす
「青森で面白いことをしているヒト・モノ・コト」は間違いじゃなかった!
・編集することで、人の営みが生まれる
・「発見(!)」と「疑問(?)」の視点を大切にする

【編集で身につくモノ】
・スキルアップ
・仲間づくり→バラエティ豊富にさせること
・学ぶ力(無知からの発見、情報の再認識、リテラシー向上)
(cf.取材対象者から生き方などを学べる)
・知れば知るほど、自分の立ち位置が分かる

【編集の原動力】
・情報に知らない悔しさ
・地域の魅力を伝えないもったいなさ
・「つまらない」と感じる人を減らせるにはどうしたらいいか?(疑問の部分)

<課題と疑問>

・今後の方向性、発展性をどうすればいいか考える
(物書きだけじゃなく、ナレーターとしても)
・「編集」と「クリエイター」の線引きをどのように付けるか
(「note朗読」は音声における編集者的役割を果たしているのか?)

…といった具合です。

受講して目から鱗だった部分は「編集者は表現者(クリエイター)ではない」というお話。
これは、周りの認識と自分の認識にズレが生じる部分でもありました。
小説以外の書き物だけではなくて、ナレーションの部分からでもです。

私がやっていることは、あくまで「自分」主体ではなくて「ヒト・モノ・コト」主体の活動。
それはnote朗読でも同じだと考えています。
ところが、手法だけがクローズアップしていって、クリエイティブな部分でしか捉えない人が多くなっていきました。

「書く」ことと「読む」ことは、手段にしか過ぎません。
漠然としていた信条が、ゲストスピーカーの方がおっしゃった言葉で初めて具現化することができました。
私がやっていることは、つなぎ目の役割なのだと。

それは、ライターだけでなく、アナウンスでも同じことが言えると思います。
表現は表現でも、形ではなく、ライフワークや日常生活などの人の営みを構築していくのが編集だと。
なにも、バズりやアクセス数などを気にする必要なんてなかったんです。

オンライン参加だったからなのかどうなのかは分かりませんが、自己紹介を求められまして、「自分がやってきたことは間違いじゃなかったと再認識することができた」と話しました。
講師陣や他の参加者の皆さんからすれば「お前何言ってんの?」と思われそうですが、少しだけ自分の信条に自信を持つことができたんです。

私は「つなぎ目」の役割として、物書きとナレーターをやっていく。
勉強会は「それは間違いではない」ということを教えてくれました。

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