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なんやかんやで「やさしさ」に振り回されている

自戒と自問を込めて、私は以下の記事を残します。

26歳の頃に書きました。今読み返すと自分めっちゃ青いなと思います。

28にもなって「やさしさ」というのがよく分からないでいます。
私なりの「やさしさ」は持ってても、結果的に良くないことを招いてしまうから。どんなに棘を抜いても、思わぬところに残っていたら意味がないのではないかと考えるようになりました。

全体的にこの記事は「自分はやさしい人間である」ことを大前提に書かれています。
特に、全く関係ない事象に直面したときに介入するのは単なる荒らしをしているのと同じだと思いました。それでは敵を量産するでしょうし、相手によっては聞く耳を持たなくなる恐れがあります。
あとワンクッション置くとしても、人によっては失礼になる可能性もなくはないと考えます。意識高い自己評価を下す余裕があれば、注意されたことやアドバイスに従うべきです。
そりゃあコメントで「やさしくない」と書かれても文句は言えないですよね。反省しましょう。
(以上、もうすぐ29歳になる私からでした)

考えてもみてください。

自分の発言で相手の何かが変わると本気で思っていますか?
相手がもし変わるとしても「あなたにだけ」プラスになるのではありませんか?
変わるべきは「自分自身」ではないですか?

意見を素直に発信するのはとても素晴らしいことです。
しかし、言葉を選び間違えると味方(と思われる人)はすぐに寝返ります。
他人は基本、話していて心地よいと思える人にしか味方をしません。
だからこそ「心象の良さ」を演出するわけです。

失敗しても、怒られても、味方でいてくれる人はあなたが頑張っているところをしっかり見ています。
私なんか未だに怒られますもん。良かれと思ってやったことが実はダメだったケースは数知れません。
自分が思っていた「やさしさ」が全くの別物だったり、当たり前のことが「やさしさ」だったり、時には「やさしさ」で傷ついたり怒ったり。

いろんな経験をしましたが、結論はこの一文に尽きると思います。

どこまでが正解で、どこからが不正解なのか、曖昧だからです。

批判をするのは「やさしさ」なのでしょうか』より

「やさしさって何?」と問われれば、ほとんどの人は持論を展開するでしょう。
これまでの私も同じようにしていましたが、今はどう答えれば良いか悩みます。なんなら完璧に答えられる人いないまであるんじゃないでしょうか?

トライアンドエラーを繰り返すうちに悟りました。
「やさしさ」は、正解があるようでない特殊概念ではないかと。
当たり障りのない対応をしても、それが「やさしさ」であるかどうかは分かりません。考えられることは「心象が良い」ことくらいですかね。

26歳の私へ

君はやさしい人間として振る舞っているだろうが、傍目だと好き勝手言う人間にしか見えないゾ。
ご意見番だと思っているのであれば今すぐ直せ。カチンと来ることがあってもすぐに書くな。案件無くすから。
でも、違和感や疑問に感じたことは大切にしろ。君の強みは文章でそれをぶつけることだ。コメントとかでいろんな意見が来ると思う。
貴重なご意見は君を面白くさせる。だからせめて「言葉を寝かせる」ことだけは覚えてくれ。
これは私が言ったのではない。君が敬愛している人が言っていた。
そんなこんなで、よろしく頼むよ。

28歳の私より

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