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モノを見る。言葉でヒトを引き込む。モノが光る。

モノが光る瞬間とは、なんだろうか。

ヒトを引きつけるモノとは、なんだろうか。

パワーワードの羅列よりも、パッションの効いた言い回しよりも、普段は何の変哲もない言葉が一瞬にしてお洒落を演出するから不思議。

セールスレターの類いだって、ヒトにモノを引きつけるために書くものなのだから、言葉選びのセンスが良くないと書けるものではない。
じゃあ、センスって何?

匠なワードセンスの数々。でもそれは、決して無理に着飾っているわけではない。自然な文体から、書き手の人となりが何となく分かってしまうものだ。
謙虚なヒト、言い過ぎるヒト、アイデアが浮かぶヒト、楽しむヒト…みんなそれぞれ違うから、好き嫌いが発生するのは当たり前。
だけれどそれを生業としているヒトは、どうやって嫌われない文を書いているのだろうかと疑問に思う。

広告ひとつとっても、商品の押し売りだけじゃあ意味がない。
モノの魅力、モノの価値…広告はいわば、商品という御伽噺の語り手なのだ。陳腐な広告なんて、正直言って誰も見ない。

ストーリーテラーが織りなすモノモノガタリの数々はモノひとつひとつが小さな御伽噺。
素晴らしきモノの語り手に私は憧憬する。

「こういう文を書いてみたい」と。

誰もが発信者・メディアとなりうる時代、彼の目耳は何を写し、聞こえるのだろうか。
みんなに愛されるため?商品を手に取ってもらうため?

いいや違う。

モノコトのバックストーリーを語っているのだ。

それも、人間生活と直結するように仕立てられる展開で、モノの本質をそのまま我々に語りかける。

食事や仕事や睡眠など、日々の生活にプラスワンの潤いを与えるきっかけ作りのスペシャリスト。

洒落た言葉はいらない。
あるのはモノの本質とバックストーリー。言葉はそれを伝えるためのイチ手段。

そういう書き手に、私はなりたい。

解説

この記事は、poohさんの企画「あなたの推しnote教えて」参加作品です。
数ある推しnoteの中から、HIROkuTSUgeru/文化アディックさんの「おこめ の あまみ / わたしたちのからだをつくるもの」を選ばせていただきました。

私がnoteを始めた初期から相互フォローさせていただいており、春に祖母が亡くなったときはコメント欄にて暖かいお言葉をいただきました。
広告マンである文化アディックさんは、商品をテーマにした記事を多く執筆されているのですが、その言葉の数々は、自由詩のごとく繊細でとてもお洒落なのです。
まるで、御伽噺の読んでいるかのような文脈・文体は、読者を魅了し、引き込ませてくれます。
物書きとして、尊敬しているライターの一人です。

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