文化部からすると中体連ってクソだるいよね

ウザいくらい「高校時代放送部でした!」と言っている私ですが、中学時代は美術部にいました。
そんなことはどうでもいいんですけど、夏休み前のイベントで「中体連の応援」がありました。
放課後に文化部が全員集まって応援練習をし、中体連本番は野球部の応援をするというものです。
これが春・秋と年2回、約3日間行われます。

基本野球部の応援なのですが、どこかの部活が勝っていればその大会会場へ行くスタンスでした。
団体種目はそんなに強くない学校だったので、負けた場合は学校でプリント学習をさせられました。
声を出さないと先生に怒られるので、とりあえず声を出していました。

2年の秋と3年の春はサッカー部が強く、野球部が負けてもサッカー部が勝っていればそこに行く感じになっていました。
野球応援は客席で観るので、相手校の攻撃の際は座ることができました。
しかし、サッカーになるとグラウンドの隅に陣取って応援しなきゃいけないので、ずっと立ちっぱなし。
でも、プリント学習をしなくていいと思うと、とても気が楽でした。

ある中体連で、3日間ずっと応援することとなった時がありました。
最終日で勝ち残っているのはサッカー部だけ。試合に負けたのか、他の運動部も集まっていました。

気がつけば、我が校だけ大所帯になっています。
いつもは先生にちょっかいを出すいけ好かない男子が一生懸命汗を流していました。

本当は、プリント学習をするための登校をしたくなかっただけかもしれません(少なくとも私はそうでした)。
でも、変に盛り上がっている感じはありました。

「頑張れ…!頑張れ…!!」

熱気はさらにヒートアップ。
応援練習であれだけやる気がなかったのに、みんな声を出していました。
吹奏楽部の場違いな演奏、他の運動部でやっている応援が混じります。
あれほど夢中に生でサッカーを見ていたのは、この時だけだったと思います。
「プリント学習したくないから勝って!そうするとイヤミな先生の機嫌が直るから!!」
そんな意識の低い願いをもって、大声で応援する私。

結局、サッカー部は試合に負けてしまいました。
プリント学習の回避一心で応援した私は、悔しい気持ちもなければよく頑張ったねという労いの気持ちもありませんでした。
(当時、同級生の半分から「Pさん」と陰口を言われていたからというのもありますが、この話はまた別の機会に)

究極に無駄な学校行事が終わった―それだけでした。

中学校を卒業して10年経ちましたが、未だに中体連の応援に行かなきゃいけない意味が分かりません。
みんな頑張っているからという理由で、好きでもない他人の応援をする意味が分かりませんでした。
試合に負けてもプリント学習に充ててしまうため結局登校。
生徒全体で仲が良ければ楽しいでしょうが、言うほど仲良くなかったので、この時間がとにかく無駄だと思いながら過ごしていました。

先生も先生でやる気がないとキレるし、私は私で穏便に済ませたいから嫌々従う。
真面目損する性格は既に形成されていた私でありました。

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