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準備の大切さを他人の朗読で思い知る

すーこさんに拙作「あそこのあのこ」を朗読していただきました。

去年3月に行われたすーこさんの朗読リクエスト企画で投げたものです。
リクエストもそうですが、何なら作品を書いたことさえ忘れていたので、聴いてはじめて「そんな時代もあったね」と俯瞰的になりました。
あろうことかこの作品、2年前に書いたんですよね……そりゃあ忘れるわけです。あれから同級生のいる家具屋には行っていません。顔を見るだけでどういう心持ちをすればいいか分からなくなりますから、私がね。

実を言うと、作品が朗読されたのは記事紹介の通知で知りました↓↓

先にこれを読んで朗読を聴いたわけなんですけども、やっぱりバックグラウンドを知ってから聴くと私自身の読みについても思うところが出てくるわけですよ。
リクエスト自体は前述した通りなのですが、いろんな事情が絡まって1年以上準備していただいたんですよね。本当に大変な中で下読みや読みの研究を行ったそうです。声出しって読みの手本があるとどうしてもそれを真似しがちなんですが、すーこさんは「私」を表現することに重きを置いてくださりました。それが一番嬉しかったです。(あと一番難しかったと思う)

朗読を聴く6時間前、オーディション用のボイスサンプルを録っていました。
収録前、下読みしていて気付いたんです。

雰囲気だけで読みのテイストを決めているな、って。

もちろん下読みはしますよ!note朗読だって雰囲気だけで読みを作っているわけじゃありません。
ただナレーションって仕事を獲得するためにとにかく応募数を増やさないと当たらない世界でもありますから焦ると数に頼ってしまうんですよね。

スタエフの発声練習配信をしなくなってから「時間がない」という理由で、日々の鍛錬を怠るようになりました。やらなきゃと思っても時間を作る努力をしなかったんです。仮にもプロなのに。
だからといって収録前はちゃんとした発声練習をしますよ?そうしないと喉開かないし。しかしそれは付け焼き刃で、本番のために実力をごまかす行為と一緒だったのです。
下読みに関してもトチらないことを最優先していたがために、エンドクライアントの情報を調べ尽くさないままオーディションに臨むことがほとんどでした。
(エンドクライアントに関しては案件によって非開示なこともあります)

発声練習も自らの実力不足を感じていました。
何が悔しいって、放送部時代クリア必須だったロングトーン20秒が全くできなくなっていたのです。そりゃあいくらナレーションの営業をかけても使ってもらえるわけがありません。

毎日の練習ほど上達の近道なのは分かっています。
1分でも時間を作りさえすれば、呼吸練習の一つだってできるはずなのに。

売れている先輩方はどうしているのだろう?

気付いたら「プロナレーター 発声練習」と検索をかけていました。
多分そうしたのは危機感と今までの状況に対する許しを得たかったのかもしれません。
だからこそ、その許しを認めたくありませんでした。

直前の発声練習が付け焼き刃なのを自覚したのはこれらの記事のおかげです。

「誰にでもできる」からこそ怠っていた準備の数々。
小手先のテクニックだけでは通用するはずもなく、まずは原稿裏のバックグラウンドを知ることが前提であることが書かれています。そのバックグラウンドを伝えるためには発声の基礎を作っておかなければなりませんよね。

結局、朗読もナレーションも執筆も「伝える手段」なのです。
だから基礎を磨くことは大事ですし、常に備えなければならないわけです。

すーこさんが拵えた期間は朗読の熟成につながりました。
今3回目の再生をしているのですが、やっぱり良い読みっぷりですよね。
あの子もまた、私とは違う準備をしているのだろうなと思います。

すーこさん、この度は素敵な朗読をありがとうございました!

追伸

私と同い年(1994年生まれ)かよ!!
こんな偶然、あります????

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