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コンサバは罪か美徳か

家族に新製品の食べ物を買って帰ることがある。
最初は「何これ?」と食いつくが、レギュラー入りすることは滅多にない。

分かりやすい例で言うと、カップヌードルの新しい味が出て、買って帰ってもまずは喜ばない。
「私は普通のが好き」と新しい味を試そうともしない。
何とも不思議な気持ちになる。

長女は割に新しい味を試そうと前向きだが、妻と次女は殻から出ては来ない。
長女曰く「コンサバだから」と言う。

最初はコンサバの意味を知らなかった。

保守的という意味だそうだ。

せっかく食べるのだから、間違いたくないという気持ちはわからなくはないし、逆に新しい味を試すチャンスを不意にするのもどうかと思う。

要は考え方の違いで正解不正解ではない。

ただ、これが一食食べるかどうかの話ではなくて、生き方自体の選択になった場合はどうだろうか。

一度決めたことをブレずにやり通すのも立派なことだし、見上げたことでもある。

でも、早々に見切りをつけて、違う道を探すのも悪いとは思わない。

一つだけ確かなことは、結果に満足するか否かも自分自身が受け入れる必要があるだけである。

正解不正解は野次馬が決めるものではない。自分自身が決めることだから。