約束の時間を守らない人は一定数いる。 ことによりけりではあるものの、約束の時間を守らない人を救済することを前提にするのは不思議極まりない。 決まった時間に電車が走るのは、約束を守って乗った人の利益を守るため。 約束を守らない人を救うために、守った人に迷惑が掛かるのはあまりに理不尽ではないだろうか。 それは冷たい主張でもないと思う。
少しの間、何かを書き遺す気さえ起こらなかった。 これほど平常心を失った期間は最近ではなかった。 劇的な痛みならスッと引けば反発力で無理にでも現状回復ができるのだろうが、ほのかに長く続く痛みは厄介だ。 身の回りを見れば、いつもの時間が流れていて、あとは自分待ちなのだが…。 ジムで久しぶりに聴いた杉山清貴。 有酸素運動のマシンに乗りながら聴いていて思わず泣きそうになった。 一人じゃないのに孤独な自分を感じてしまう瞬間、心に入り込んでくる名曲。
重ねて書いているが、時は無邪気で無情なものだ。 銀河鉄道999で「時間城の海賊」という話がある。 ラストに人を含めて色々なものが時間の流れに贖えずに崩れ去るシーンがあるが、観てかなり時間が経った今、あの意味するものを感じてしまう。 今を生きることと対極に位置するように見えて、永い時を感じることはすごく似ている。 末文になるが、亡くなった松本零士さんに哀悼の意を表したい。合掌。
思っていたことが上手くいかない時に一番大切なのは、またゼロから始める勇気なのかなと思う。 理想郷はなかなか見つからないから、自分で作ることだろうと思う。 諦めたりはしない。 もう一度、仕切り直して積み上げて行こうかな。 負けっぱなしじゃ、嫌じゃないか。
たくさんの名曲があるが、この唄はなかなか沁みる。 元春が父親を亡くした時に作ったらしい。なるほど…。
良い歳になってもたまに自身を見失いそうになることがある。 今までだってたくさんの悲しみや困難を掻い潜ってきた。 時間薬は確かに有効だけど、効くのに時間はかかる。 迷いなら、間違うことを恐れずに一歩を踏み出せる。 遺された人がいつまでも悲しみに暮れることを故人が望んでいるとは思えないけど、どうにもこの脱力感は対処が難しい。
フットサルで若い人と話す機会が増えると刺激がたくさんある。 仕事みたいに利害関係が薄い分、良くも悪くも気を遣われないから、その人となりが見えてくる。 礼儀正しいヤツ、そうでないヤツ、律儀なヤツ、いい加減なヤツ、善悪ではなくて実に素直だ。 飛び抜けて年齢が上の人に接することに慣れていない若い人もいるようで、それはそれで気の毒だなぁと思うと同時に、扱い方を学ぶ貴重な機会にすれば良いのに…とも思う。 自身は体育会的な環境でスポーツをしていたから、年長者の扱い方の匙加減を学んで
今日は少し特別な日。 でも、いつも通り飯も作るし、 洗濯物も畳んだ。 実はこれが一番幸せな日常なのかもしれない。
非日常の生活が続くと、正常性バイアスの逆の感覚になる不思議。 落ち着いて良い筈の時間が妙に落ち着かなくなってしまう。 お世話になっている整体師の先生がおっしゃっていたが、気持ちの乱れは身体から来ていることも多いらしい。 ならば身体を作る食事をルーティンに戻すべきと、好きなカレー屋を訪ねた。 やはりビリヤニは美味い。 少しずつ、普通の日々に戻って行こう。
火葬場の空気はいつも冷たい。 晴れた午後、骨に変わったあの人は写真でしか拝めない。 いつまでも悲しみに浸る訳にはいかない。 世の中も自分自身も時計の針を元には戻せないから。 だから節目にこの歌を口ずさんで、家路に着くことにする。 さよなら。愛しい人。
冬場は亡くなる人が増えると改めて分かった。 亡くなって火葬までまるまる4日も待たされるのは予想外だった。 大切な人を亡くしたのは娘たちも同じ。 彼女たちに言った受け売りの言葉。 「◯◯ちゃんの肉体は終わってしまったけど、◯◯ちゃんは貴女たちの心の中でずっと生き続けるから、まずは自分たちが健康で善く生きような」 形だけの言葉ではなくて、ずっと忘れないでいれば、彼女は心の中で微笑んでくれる。
我が家にとって大切な人がいなくなった夜。 彼女のスマートフォンだけが我が家のテーブルにある。 もう主の指先が触れることは無い。 デジタルの記録はスマートフォンに残るけれど、屈託ない笑顔はあの日にしか見ることができなかった。 悲しいよりも寂しい。 辛いよりも切ない。
大切な人の生命の灯火が消える。 抱えきれない想いが溢れる。 善い人ほど早く次の世界に行ってしまう。 神さまも仏さまも居るなら、なんて残酷なことをするのだろうか。
切ない愛を唄う曲が多い中で、秀逸な作品だと思う一曲。 かつての恋人を想う気持ちを唄う曲は「Just the same」などもあるが、表現の切り口で味わいが異なる。 歌詞から伺う情景描写はまさにプロであり、色褪せない言葉でもある。 悲しい恋をしたことがある人には響く唄ではないだろうか。
年甲斐もなく、土日続けて真面目にフットサルで汗をかいた。 健康的とは思うが、実際には後からやってくる筋肉痛との闘いも乗り越えないといけない。 若い頃も筋肉痛はあったが、たいがいは翌日がピークだった。 しかし今は翌々日にピークが来る。 中高年スポーツではあるある話かもしれないが、コレがなかなかツラい。 特にお尻の筋肉が張ると座るのがツラくて何故か立ちたくなり、立てば立ったで腿の筋肉も悲鳴をあげる。 割と普段から身体は動かしているのに、こんなにツラいお土産を残すとは…。
流行り言葉なのか、「ヤバイ」と「ワンチャン」はよく耳にする。 若者言葉(コレ自体がジジイの言い方)をまるっきり否定はしない。自身も同じだったかもしれない。 でも、何でも「ヤバい」と「ワンチャン」では語彙が少な過ぎて何が言いたいのか分からなくなる。 真にヤバいのはそういう言い方しかできない教養の無さであると気付かないこと。 何も薄っぺらい人になることはトレンドでも何でもないからね。