牟岐の海(下)
多感な中学生の旅行らしくなく、早めに布団に包まれて寝た私たちだった。
波の音が朝の光の中でザワザワとしていたのを見逃してしまうのが勿体無い気持ちになった。
役に立つか分からないままに持ってきた釣り道具がふと頭に浮かぶ。
近くには砂浜。
釣れるかどうか何か分からないけれど、ちょっとだけ投げ釣りでも…と竿を持って出掛けてみた。
砂浜を少し掘り返してみると、やたらと元気なアオイソメが出てくる。
上手く釣り針に通さないと噛み付いてくるのが厄介だが、この上なく新鮮な餌に、ほらよと波打ち際からジェット天秤付きの仕掛けを投げてみる。
正直なところ、釣れるアテなどなかったが、リールを軽く巻くと何か重みがある。
糸の先には小ぶりながらも綺麗なキスがダブルで掛かっていた。
慌てて海辺に捨ててあったバケツに軽く水を張って、釣れたキスを匿う。
良い潮時だったのか、続けて10匹は掛かっただろうか。
自慢顔で民宿のおじさんに釣果を差し出す。そのあと食べた朝飯がたまらなく美味かった。
さっきまで釣竿を向けた海にはほぼ誰もいない。波も穏やかで、少しばかり冷たく感じたのも初めのうちだけで、沖に進むと意外にも遠浅で足が着くところがあることに気づく。
持参したシュノーケルを使って水の中に顔を埋める。砂浜が延々と広がる海底に、何となくもう二度とない夏を予感していた。
そんな長い時間を過ごしたつもりはなかったが、すでに昼時が来ていた。
民宿のおじさんが呼びに来る。実にのどかな海辺。海の家などありもしない。
民宿ではカレーが釜ごと、鍋ごと置いてあった。最高のセルフサービスである。
でもそこに、おじさんがポロリと置く。見覚えあるキスが素揚げになっていた。
変な感覚だった。さっき自分が釣り上げた魚を喰らうのは、多分生まれて初めてくらいのこと。
味は正直言って覚えていない。ただカレーと妙なマッチングに負けてカレーしか覚えていないのが真相。
穏やかに午後は過ぎていた。
【つづく】