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第3GKの夏

サッカーとの出会いは小学5年生の時。担任の先生がサッカー好きで体育の授業は専らサッカーばかりしていた。

GKは不人気で半ば当番的に廻ってくる役割だった。その役割の時にたまたま横っ飛びしてセーブした場面が目立ってしまったが故に、それ以降はずっとGKをやるハメになった。きっかけは実に些細なことだった。

中学からは部活でサッカーに親しんだ。幸いか災いか想い出は部活ばかり。2年生で1つ先輩のレギュラーGKから先発を取った試合は今でも覚えている。先輩は良い人だったから気の毒だったけど、素直に嬉しかったものだ。

高校でもサッカーは部活で続けた。強豪校でもなかったし、その中でも選手として全く大成しなかった。高2の夏の大会前に肘を痛めた。負けたくない一心で騙し騙しやっていたのが、大会直前に耐えきれずにパンク。結局2ヶ月休むハメになった。怪我明けも同じ学年で高校からサッカー始めたGKにレギュラーを取られたことで実力と運のなさを両方噛み締めたものだ。

それでもベンチには入れたし、正GKが怪我の時に先発のチャンスも数回はあった。しかし秋からは一軍の試合前アップには後輩のGKが呼ばれることになった。比較した実力が最優先の世界。多分、自身が監督でも同じ選択をしたに違いない。

そういう環境の変化もあり、冷静になって試合を観ることを学ぶきっかけになった。プレーが何故上手く行き、何故上手くいかないのかが何となく見えたものだ。

結局、高校時代に公式戦での出番はなかった。ベンチ入りも一度きり。高校ラストの3年生にはベンチさえ入れず、第3GKの扱いとなった。

自分の力の無さを嘆くことはあれど、同学年のGKや後輩の控えGKには練習からいろいろなことを言い合ったものだ。セットプレーやDFへのコーチングはある程度の経験値が要る。年間300日は練習か試合だったので、GK同士はライバルであり仲間であるという感情が生まれやすい。シンドイながらも楽しい時間を共有したものだ。

冷静に考えると、第3GKとは実に難しい立ち位置である。控えGKにも同じ面があるが、自分が試合に呼ばれる場面はチームにとって良くないことを意味する。正GKの怪我か退場になって出場するかが殆どだから、チームが勝ちたいと願えば、自分が出ないことを願うのと同じことになる。ジョーカー的な役割でベンチに居る選手とは対極的なマインドである。

第3GKになると一時的に控えに昇格するが、そこで試合に出て活躍しない限りはまたベンチ外に戻ることが濃厚で、自分が活躍してチームに貢献するという選択肢はなくなる。

それでも同じユニフォームを着て闘うチームメイトの背中を押したい気持ちが途切れることはなかった。難しいけれど実に貴重な経験を得たと思う。

結局、高校ラスト公式戦は全国大会府予選の1回戦を0-1で落として幕となった。春大会でベスト8のチーム相手に大健闘ではあったが。失点はGKとDFの連携ミスを押し込まれた一瞬だった。今でもあのシーンを思い出す。

試合後に項垂れた同級生GKにドリンクを手渡すと、ヤツは詫びの言葉を口にした。

「マジで悪い。オレのミスやった」

「お前はうちのGKの代表だったのだから下を向くなよ」

慰めるつもりも何もなく、真っ直ぐな気持ちで一言だけを返した。

セミの鳴き声が響き渡って、第3GKの高校サッカーも静かに終わった。

30年以上前の静かで暑い夏。あの蝉の声がまだ聞こえてくるようだ。