彼酔イ坂〜街角美身~遥か道の幸へ 012/小説+詞(コトバ)
「カケルくん、ちょっと来て」
その翌日、出勤して来た道乃が、小声で翔を呼びました。
「え、なんですか?」
「いいから、ちょっと来て」
道乃が、翔の腕を掴み、店の外へ連れ出しました。
「はい、これ」
道乃が、持っていた紙袋を差し出しました。
「まさか、お弁当ですか?」
「昨日、約束したから」
「ホントに作ってくれたんですか!?」
「そうよ。みんなに見つからないように、冷蔵庫の奥に隠しておいてね」
「すいません。ありがとうございます」
翔は、その日、気がつくと一人でニヤニヤしていました。
「なにニヤついてるのよ?」
マネージャーが、翔をヒジで突付きました。
「いえ、なんでもないです。すいません」
翔は、慌てて灰皿を替えに行きました。
「変な子ねぇ…」
マネジャーが、首を傾げました。
そして、あっという間に二週間が過ぎました。
「いらっしゃい」
店内のライトが点灯し、道乃が、真っ先に言いました。
ドアを開けて入って来たのは、道乃の客の横尾でした。
彼は、この店では珍しく、まだ二十五歳なのですが、部長に連れられて来たとき、道乃を一目で気に入り、それ以来、毎週金曜日に欠かさず来ていました。
「遅かったじゃない。今日は来てくれないのかと思ってた」
道乃が、横尾におしぼりを渡し、その隣りに座りました。
「すみません。仕事が終わらなくて」
横尾は、おしぼりで顔を拭きました。
「そうなんだ。お疲れさま」
「いらしゃいませ」
翔が、横尾のボトルと氷をテーブルに置きました。
「ありがとう。ねぇ、おしぼりをもう一本持って来て。横尾クン、汗びっしょりだから」
道乃が言いました。
「はい。すぐにお持ちします」
翔は、おしぼりを取りに行きました。
「早く私に逢いたくて、走って来たの?」
道乃が、冗談のつもりで横尾に聞きました。
「はい」
横尾が、真顔で頷きました。
「え、ホントに走って来たの?」
「はい。駅から」
「お待たせしました」
翔が、道乃におしぼりを渡しました。
「ねぇねぇ、横尾クンたら早く私に逢いたくて、駅から走って来てくれたんだって」
道乃が、おしぼりを受け取り、横尾の顔を拭きながら言いました。
「ホントですか!? すごいですねぇ」
「結婚する前は、ダンナもそのくらい情熱的だったんだけどなァ…」
「そういえば、浮気したのに、なんで許したんですか?」
横尾が聞きました。
「あ、それ、ボクも知りたいなァ」
翔が、道乃を見ました。
「カケルくん、よかったら一杯飲んでよ」
「いいんですか?」
「いいわよ。はい、グラス」
マネージャーが、後ろからグラスを差し出した。
「すいません、マネージャー。ホントにいいんですか?」
「どうぞ、ごゆっくり」
マネージャーはニヤリと笑い、別のテーブルに行きました。
「それでは、おじゃまします」
翔はイスに座り、グラスに氷を入れようとしました。
「私が作ってあげる」
道乃が、翔のグラスを取り上げ、酒を作りました。
「ありがとうございます。頂きます」
翔は、横尾と道乃と乾杯し、一口飲みました。
「それで、どうしてですか?」
翔が、道乃に聞きました。
「そんなに大した理由じゃないのよ。ただ、今回は許してもいいかなって思ったの」
「だから、何故そう思ったんですか?」
横尾が聞きました。
「そう言われてもなァ…。でも、本当に両親が喜んでくれた結婚だったの。それに、ダンナが何度も何度も謝ってくれて、二度としないと誓ってくれたしね。まぁ、そんなカンジかなァ」
「よくわからないなァ。ねぇ、横尾さん」
「そうですね。道乃さん、離婚すればよかったのに」
「どうして?」
「そうすれば、ボクがプロポーズ出来たのに」
「あら、結婚してたって、奪えばいいじゃない」
「そうか! そうですよね」
翔が言いました。
「え、カケルくんも、私を奪ってくれるの?」
「はい、奪いますよ」
「カケルくん、ズルイよ。ボクが先だよ」
「ちょっと待ってよ、二人とも。もう酔ってるの?」
「酔ってませんよ」
「本気です」
翔と横尾が顔を見合わせ、頷き合いました。
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