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掌編小説【煙草】

お題「街のあかり」

「煙草」

僕の顔なんて忘れていると思ったのに声をかけられて驚いた。
「お久しぶりです。お元気ですか」
学生時代に通い詰めていたミニシアターの館主は、相変わらず肺病の詩人みたいな浮世離れした風情だが元気そうだ。僕の方はそうでもないのだけど。
十年ぶりに帰郷したから寄ったのだ、と軽く挨拶をして席に着く。映画の時間は七十八分。なんだかホッとする短さだ。今の僕にはちょうどいい。タイトルは『街のあかり』。アキ・カウリスマキ監督。フィンランドの映画だ。内容はまったく知らない。たまたま、上映されていただけだ。

「いかがでしたか」
映画が終わってロビーに出た僕に館主が話しかける。客は僕以外に三人しかいなかった。これでよく経営が成り立つものだ。実は大富豪なのだろうか。
「いい負けっぷりですね」
そう言うと、彼は青白い顔をわずかに紅潮させ、ははは、と楽しそうに笑った。
「そうでしょう。主人公がいいところなしに負け続けるけど、不思議と負けた気がしないんですよね。私はあの映画を観ると励まされるんです。まだやれるぞ、って」
それでここの経営を続けているんですか?そうとも聞けず、僕はあいまいに微笑んで、また来ますと言って外に出た。

映画を観たら久しぶりに煙草を吸いたくなった。映画の登場人物たちは皆ヘビースモーカーだ。水を飲むように煙を飲み込む。そして胸のつかえを吐き出すように煙を吐く。でもその不健康さが僕には魅力的に見えた。コンビニで煙草とライターを買い、火を点ける。しかしすぐにむせて揉み消す。僕は残りの煙草をポケットに入れる。口の中が苦い。
主人公の名は『コイスティネン』と言った。彼が味わった苦さはこれの何倍だろう。だまされて、刑務所に入れられ、夢も消えて、殴られて血を流して。

カフェに入った僕はコイスティネンになって窓辺でコーヒーを飲む。そしてまた煙草に火を点ける。吸い込まずにふかす。彼の気持ちになってみる。彼の孤独が僕の孤独にぴったり重なる。でもみぞおちの辺りには熱いものがある。これってなんだろう、と思う。
僕も全てに負けて帰郷した。金もない。仕事もない。友人も恋人も去った。今日寝る所もない。完敗だ。
でもコイスティネンは言った。
「ここでは死なない」と。
彼は希望をもっているのだろうか。僕がみぞおちで感じている熱さは希望なのだろうか。
煙草が苦い。コーヒーも苦い。僕にはもう何もない。でも……。
「この熱いのはなんだ、コイスティネン」
僕は目を閉じて小さな声でつぶやいてみる。
僕の中のコイスティネンが無表情のまま、答える。
それは希望なんかじゃない。そんなものなくても生きられる。
「じゃあ、なんだ」
コイスティネンは無表情のまま、煙草の煙を吐く。
誇り、さ。

僕は短くなった煙草を思い切り吸い込み息を止める。熱さと苦さと苦しさが身体の中で混ざり合う。それからゆっくりと煙を吐き出す。
「僕にも、残ってる…のか?」
彼は答えない。無表情のまま、僕を見ている。

僕は唯一残ったものを確かめるように、みぞおちに手をやった。
僕の、誇り。

まだ、僕は生きている。
まだ、僕は死なない。

おわり (2022/12/11 作)


…映画評を書いてみたかったのですが、小説になってしまいました(;・∀・)
アキ・カウリスマキ監督、大好きですー。機会あればぜひ。

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