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掌編小説【期待】#シロクマ文芸部

お題「恋は猫」

【期待】(1100文字)

『恋は猫屋敷の猫まみれの長い廊下を抜けて救い出した囚われの姫を抱き上げたまま、再び猫まみれの長い廊下を抜けて猫屋敷を脱出するようなもの』

僕は気づかれないようにため息をついた。
「…タイトルはどうしてもこれでないといけませんか、西園寺先生」
若者に人気のライトノベルでは長ったらしいタイトルが流行りだとはいえ、純文学の恋愛小説には長すぎるのではないだろうか。担当編集者としては作者の意図を確認したい。

「わたくしが潜在意識の暗く深い森を抜けてようやくたどり着いた神秘の泉から汲みだしたタイトルにご不満がおありなのかしら」
「…ありません。素晴らしい…です。…が、あまりに長いとですね、予想外の不都合があるかもしれず…」
西園寺麗香は窓の方に顔を向けたままフッと微笑んだ。というより唇をゆがめた。本人は五十年前のままの容姿でいるつもりなのだ。
彼女の本名は山田ツルコ。
御年七十八歳にして売れっ子の恋愛小説家である。

「想像力が欠けていらっしゃるのね」
「はぁ」
「あなたは恋をしたことがない…。そう、恋がどういうものかご存知ないのよ!」
ツルコはいきなり私の方に向き直ると両手を広げ、挑むような大声で言い放った。ツルコは宝塚歌劇団が好きだ。
そして私は一応既婚者である。恋をしたことはある…と思う。

「猫屋敷の廊下はね、床が見えないほどみっちりと猫たちが集まっているのよ。その猫まみれの長い廊下を猫を踏まないように避けながら、しかもまとわりついてくる猫をうまくあしらいながら通り抜けて救い出した姫を抱えて脱出するのよ。それがどんなに困難なことか想像してごらんなさい!なんという…なんという情熱! …それが………恋、よ」

血管が切れたのではと心配になるほど間をおいてから、『こい、よ』という言葉をささやくようにつぶやくと、ツルコは言葉を区切った。
「…わたくしは今回の作品で『恋』というものの本質を描き切ることに成功したと思っているわ」
山田ツルコ、もとい西園寺麗香は僕に背を向け、眩しさを我慢しながら窓の外の沈みゆく夕陽を見つめていた。

帰宅後、合理的見合い結婚によって結ばれた妻に聞いてみた。
「情熱?恋?あははー」
などと笑ってくれるかと期待していたが、意に反して彼女は僕に聞き返してきた。しかもいつもよりワントーン高い声で。
「あなたは…猫まみれの屋敷から私を救い出してくれる?」
「無理だろうな」
正直に答えると妻の機嫌があからさまにわるくなり、夕飯が茶漬けになった。
もしかしたら僕たち男性は、女性たちからとんでもないものを期待されているのかもしれない。

西園寺麗香の新作は百万部を超えるベストセラーになった。
やはり僕には恋というものがわからない。


おわり

(2023/6/3 作)

小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』イベントに参加させていただきました。
『恋は猫』から始まる小説! せっかくの『恋』ネタ!
とうとう私も恋愛小説を…!

と思いましたが書けませんでした(;・∀・)なんでだろう……
おしえてツルコ。

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