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掌編小説【幸福】

お題「お好み焼き」

【幸福】

「台所のことを『お勝手』っていうでしょう?それは女が勝手にやっていい、ってことなのよ」
母がよくそう言っていた。私の目からは何ひとつ勝手にできない女性に見えていたけれど。台所という小さな場所でだけ、母は自由でいられたのだろう。
生活費は父に細かく管理されていたので、ゆるされた範囲で母は食材を買い、料理を作った。
私が好きだったのは『お好み焼き』だ。私が作って、と言うと母はうれしそうだった。
今思うと、家計に優しく、冷蔵庫の掃除も兼ねられる便利なメニューだったのだ。

「今日はお好み焼きにしましょう。材料を出してくれる?」
母と二人だけの時、母はよくそう言った。そんな時、私はいそいそと冷蔵庫を開ける。キャベツだけは必ず入れるけど、それ以外はそれこそ『お好み』だ。
ネギ、もちろん。 にんじんは?いいんじゃない。 ちくわ、すてきね。 ジャガイモは?いいわよ。 わかめ!ナイスアイデア。 あ、卵も忘れずにね。
肉や魚介類が入ることは滅多になかったが(そもそも冷蔵庫にない)、母は私が出してきた食材を絶対に否定しなかった。
チョコレートやビスケット、そんなものさえもOK。母はカレーの隠し味に使うみたいに細かく砕いたチョコレートやビスケットを、巧みに生地に混ぜ込んだ。それでいて出来上がりはいつも最高!
テレビもラジオもない静かな台所、目の前には二人分の大きなお好み焼き。ソースと青のりの匂いでお腹がグゥと鳴る。ふっくらと焼けたお好み焼きを母が切ると、湯気とともにさまざまな具材が出てくる。まるで魔法。宝探しの始まり。
「今日のお好み焼きも美味しいよ、お母さん」
そう言うと母はニッコリと微笑む。
今振り返っても、あれ以上幸せな時間は私の人生にはない。

だから、好きな食べ物は?と聞かれると「お好み焼きです」と答えてしまう。
恋人ができて彼の母親に初めて会った時も、そう答えた。でも恋人は隣から肘で突いてくるし、彼の母親は唇をゆがめて固まってしまった。
それが原因かどうかはともかく、その恋人とはしばらくして別れてしまった。今度聞かれたらもっと無難な答え(どんな?)にしようと思いつつ、聞かれることなく三十年経つ。

でもお好み焼きとはずっと一緒だ。今はもう父も母もなく、あるのは思い出とお好み焼きだけ。
「今日はお好み焼きにしましょう」
そう声に出すと、一人きりの台所でも私はウキウキする。そしていそいそと冷蔵庫を開けて何を使おうかと考える。
ネギ、もちろん。 にんじんは?いいんじゃない。 ちくわ、すてきね。 ジャガイモは?いいわよ。 わかめ!ナイスアイデア。 あ、卵も忘れずにね……。

人はこれを『孤独』と名付けるかもしれない。
でも私にとっては『幸福』なのだ。

おわり

(2023/1/13 作)


…注:『お勝手』の本来の意味は、上記とは違います。でもこのように言う年配の女性が実際にいたので小説の中で使いました。
「勝手」には「暮らし向き」「家計」という意味もあるそうで、御用聞きなどが出入りする入り口として「お勝手口」と呼ばれたようです。

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