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掌編小説【くじ引き】

お題「くじ引き」

「くじ引き」

「いいか、あと一枚補助券を見つけるんだ」
弟のマサルはぼくを見上げて真剣な目でうなずいた。なんと言ってもその一枚にコロとぼくたちの運命がかかっているのだ。

あの年、商店街の歳末くじ引き大会で三等を当てることをぼくたちはねらっていた。
三等の景品は「炊飯器」だった。我が家は母とぼくと弟の三人暮らしで、母は朝から晩まで働いていたが、三人食べていくのが精いっぱいだった。それなのに二週間前に炊飯器が壊れたのだ。新しい炊飯器を買う余裕は我が家にはなかった。仕方なく母は三日に一度鍋でまとめてご飯を炊いて、その後しばらくは冷や飯や雑炊、そんな悲しい日々が続いていた。

「ぼくたちが三等を当てれば、お母さんは喜ぶ。そしたらきっとコロを飼っていいって言ってくれるさ。それにぼくたちも炊きたてのご飯が食べられる」
マサルは目を輝かせてもう一度うなずいた。
「おにいちゃん、ぼくがんばる。コロもね、一緒に探そうね」
コロがくーんと鼻を鳴らす。コロは空き地に捨てられていた小さなブチの雑種犬だ。ぼくたちは給食の残りのパンや冷や飯をコロにこっそりやっていた。
ウチで犬を飼う余裕なんてないわよ、母にはきっとそう言われるだろうと思ったから言えなかった。でも炊飯器さえ当てれば、お母さんは喜んでうんと言ってくれるだろう。まだ十歳だったぼくはそう考えていた。

商店街の歳末くじ引き大会は補助券が五枚あれば一回引くことができた。一枚の補助券は五百円分買わないともらえない。ぼくたちには五百円なんてない。一週間かかってようやくぼくたちは四枚の補助券を見つけた。八百屋の片隅で、あるいは公園のゴミ箱で。くじ引き大会は大晦日の夕方までだから、あと数時間でなんとしても見つけないといけない。三等がまだ残っていることは確認していた。
ぼくはマサルとコロと一緒に地面を見ながらゆっくりと商店街を歩いた。商店街はたくさんの人でにぎわっている。ドンッ。時々人にぶつかって謝りながらも歩く。あと一枚、あといちまい。
「あっ」マサルが叫んでぼくのセーターを引っ張る。
「おにいちゃん、あれ、そうじゃない?青いの」
マサルが指さした花屋の店先の地面に青い小さな紙が落ちていた。ぼくはさりげなく近づいて確認した。補助券だ。どきどきしながら花を見る振りをしてそっとしゃがみ込んで拾う。その時だった。

「おい、なにやってんだカズヤ」
いやな声がした。立ち上がってゆっくり振り返ると、そこにはやはりタカオがいた。タカオはぼくのクラスのいじめっ子だ。家も近所で、入学した時から五年間ずっと同じクラスで、いいかげんぼくはウンザリしている。
「なんだよそれ、補助券拾ってんのか。ハハハ、貧乏人はやだね、みっともねぇ」
「お前には関係ないだろ」ぼくはマサルに補助券を渡して言った。
「ふん、貧乏人がハワイに行くつもりか」一等はハワイ旅行だった。
「ハワイなんて興味ないよ」
「じゃあ、なんだよ」
「関係ないだろ、あっち行ってろ」
ぼくはタカオに遠慮なんてしない。勉強も運動もぼくの方が上だ。それが気に入らなくてタカオはなにかあると突っかかってくる。
タカオはいきなりマサルの手から補助券をひったくった。
「おい、なにするんだよ、返せよ!」ぼくはタカオにつかみかかった。タカオは憎たらしいことに背だけはぼくよりかなり高い。タカオは両手を高く上げて補助券をヒラヒラさせた。
「これは落ちてたんだからゴミだよ。拾ったゴミは捨てなきゃなー」
タカオは両手を高く上げたまま補助券をビリビリ破くと大きく腕を振ってバラまいた。バラバラになった補助券は風に飛ばされ、行きかう人々に踏まれていく。
ぼくはカーッとなってタカオに再度つかみかかろうとしたが、その時マサルが大声で泣き出した。
「うわあああん、わあああん」
ぼくがマサルの方を見た隙にタカオは「ふん」と言って走り去っていった。

コロはくんくんと鼻をならしている。ぼくはしゃがんでマサルの頭に手を乗せて言った。
「ごめんな、マサル。でもまだあと二時間ある。見つかるさ。大丈夫だよ」
マサルは涙をぽろぽろこぼしてシャクリあげながらぼくを見つめた。
「せっかく見つけたのに・・」
「仕方ないさ。さぁ、行くぞ。あいつには来年仕返ししてやる」
ぼくたちはまた商店街を何度も往復して青い紙を探した。でもなかなか見つからずに時間だけが過ぎていった。マサルのお腹がグーッと鳴った。
「今のはお腹がすいたんじゃないよ。しゃがんでお腹おさえたからだよ」
お昼ごはんは冷めた焼き芋だけだったのにこんなに歩き回っていたらお腹が空くのもムリはない。ぼくはポケットの底を探ってキャラメルを一粒みつけると、マサルに渡した。
「あとちょっとがんばろうな。きっと見つかるからな」
マサルはキャラメルを半分かじってぼくに返した。ぼくもだまってそれを受け取り口の中に放り込んだ。甘さが口中に広がり、少し力が湧いた気がした。

その時、くじ引き会場の方からカランカランと威勢のいい音がした。ぼくたちはハッとなって顔を見合わせ、会場の方に走った。三等が当たってしまったらどうしよう。
一人のおばさんが手を叩いて喜んでいる。ぼくたちは近づいて何等が当たったのか確かめた。よかった、当たったのは二等だ。二等は自転車である。
「わぁ、うれしい、自転車ほしかったのよー」おばさんがはしゃいでいる。
ぼくはおばさんにニコニコと笑いかけ、「よかったね」と言った。おばさんが振り向いた。
「まぁ、ありがとう。ぼくたちもくじ引き?」
「うん、でも補助券があと一枚足りないんだ」ぼくは少しうつむいてみせた。
おばさんの手に青い紙がまだ握られているのをぼくは見逃していなかった。
「あらそうなの、じゃあコレ、余ったからあげるわ」
おばさんはウキウキしたままの気前のいい声でぼくが願った通りにそう言うと、補助券を四枚もくれた。補助券は一気に八枚になった。
「おばさん、ありがとう!」
ぼくとマサルは顔を見合わせた。これでくじ引きができる。

鼻唄を歌いながら立ち去ったおばさんを見送ってから、ぼくは五枚の補助券を丁寧に数え直し、係のおじさんに渡した。
「じゃあ、一回ね」おじさんが言う。
いよいよだ。ぼくはマサルの顔を見てうなずき、コロの頭にも軽く手を置いた。
お母さんと、みんなの幸せのために。神さま、どうかお願いします。
ガラガラ抽選機の取っ手をしっかりとつかみ、グルリと回す。三等は赤だ。三等、三等だ、赤よ来い!

コロン、と出てきたのは白い玉だった。
「ああ、残念。五等のキャラメルだね」
ぼくは取っ手をつかんだまま動けなかった。ちがうよ、神さま、ぼくがお願いしたのは。
「三等じゃないの?」マサルが小さな声でぼくに聞く。ぼくはつばを飲み込んだ。
「うん、ごめんな、マサル。あと二枚、時間までに見つけよう。そしたらもう一度チャンスがある」ぼくは泣きそうになるのをガマンして、かすれた声で言った。
おじさんがマサルにキャラメルの箱を手渡す。
マサルはがっかりしながらも少しうれしそうにキャラメルを受け取る。
ぼくの方はそんなマサルを見ながら、あと一時間で二枚かと絶望的な気持ちになっていた。

「あら、カズヤ、マサル、なにやってるの」
振り向くと母がいた。
「あ、お母さん」
そうか、この時間はそろそろ母が昼間の仕事から帰ってくる頃だった。母は夕方に戻って夕食の支度をして、夜はまた別の仕事に行くのだ。
ぼくはしまったと思いながら足元にコロを隠すようにして答えた。
「えっと、補助券をもらったからくじ引きにきたんだ」
「そうなの、あ、そういえば私も少し持ってたかも」
ぼくはハッとした。そうだ、お母さんが持ってるかも、ってどうして気づかなかったんだろう。どきどきしながら母が財布の中をたしかめるのを見た。
「あらー、二枚しかないわ。これじゃ引けないわね、ごめん」
「に、二枚でいいんだよ!ぼく三枚持ってるんだ。さっき自転車当てたおばさんが余ったのをくれたから」
マサルはキャラメルの箱を大事そうに持ちながら、「もう一回引けるの?」と聞いた。
「うん、今度こそ当てるぞ」
母はぼくたちの心中など察することもなく、にこにこと気楽な様子で見ている。
ぼくはもう一度神さまに願った。今度こそ、今度こそ三等をお願いします。間違えずにお願いします。
ぼくは全身の力を込めて取っ手を回した。世界中でこれくらい本気でガラガラを回した者はいないだろうというくらい。赤よ、来い!

「カラン、カラーーーン」大きなハンドベルが鳴る。
「おおっ、大当たりだよ、ぼくたち! 一等のハワイが大当たり!」
母とぼくたちはポカンとした。
出たのは黄色い玉だった。
「まぁ・・・」
「おじさんっ、黄色じゃだめなんだよ、ぼくたち、赤い玉・・三等がいいんだっ」
ぼくは抽選機の取っ手をつかんだまま叫んだ。
「えぇ?ハワイだよ。ハワイペア旅行が当たったんだよ、一等だよ」
おじさんは振り上げたハンドベルを空中で止めたままとまどっている。
「ぼくたち三人家族だもの。ハワイなんていらないよ、三等がいいんだよ。三等じゃなきゃだめなんだよっ」
ぼくは、ああカッコわるいと思いながら涙があふれてくるのを止めることができなかった。
ぼくたち、あんなにがんばったのに。
マサルと何度も商店街を往復したこと、タカオのこと、マサルがくれた半分のキャラメル、ぼくを見上げるコロ、そして朝から晩まで働いている母の姿が頭の中をかけめぐる。
おじさんはぼくが泣いているのをみてびっくりしながらも訳がわからないという顔をして首をひねっている。
「いや、でもねぇ、当たっちゃったからねぇ・・」
その時、驚いた顔をしてぼくを見ていた母が、景品が並ぶ台の方を見てつぶやいた。
「三等って・・、炊飯器・・」
それを聞いて、いつも泣き虫のマサルが顔を真っ赤にして泣くのをこらえながら言った。
「ぼくたちね、炊飯器をお母さんにプレゼントしたかったの。それで美味しいご飯できるし、そいでコロのこともお母さんにゆるしてもらいたくて・・」
「コロ?」
母はぼくたちの足元に隠れていた小さなブチの子犬に気づいた。
「うん、コロっていうの。お兄ちゃんとぼく、コロを飼いたいんだ。お母さん、飼っちゃだめ?」
母はコロとぼくたちをかわるがわる眺めてしばらく黙っていた。そしてゆっくりと口を開くとこう言った。
「お母さん、犬が大好きなのよ。知らなかった?飼うこと、反対されると思ったの?」
「それじゃっ、コロ、飼ってもいいの?」マサルはパッと顔を輝かせた。
「ええ、コロちゃんが食べるごはんくらい大丈夫よ。でも世話はもちろんふたりがしてくれるのよね?」
「もちろんだよ!ね、おにいちゃん」マサルがぼくのセーターを引っ張る。
ぼくは自分がなにも言えないうちに事がうまく運んでいることにびっくりしながら言った。
「うん。ちゃんと世話するよ。ありがとうお母さん」
コロと暮らせる喜びがじわじわと胸にわきあがってくる。

その様子を見ながら、おじさんが苦笑して言った。
「さて、じゃあ、この一等はどうするね?せっかく当たったのに」
「そうだわ、くじ引き大会もあと少しで終わりでしょ。これから炊飯器を当てる人に交換してもらいましょうよ」母が笑いながら言った。
「あんたたち、欲がないねぇ。まぁいいよ、じゃあ次の人、どんどん引いた引いた!三等が当たったらナント一等のハワイと交換できるよ!」

・・二十分後、仲良さそうな初老の夫婦が三等を当てた。二人はハワイと交換と知ってびっくりしていたが、海外なんて初めてだと言って、喜んで交換に応じてくれた。
おばあさんは事情を聞くと、じゃあ、みんなにおみやげ買ってくるからね、と優しく言って、ぼくたちは住所も交換して別れた。
お正月にはお餅ではなく炊きたての美味しいごはんをみんなで食べた。
ついでに言うと、三学期が始まってからタカオにはしっかり仕返ししてやった。

・・・さて、それから二十年。
毎年大晦日になると、ぼくたち家族は集まってこの思い出を語り合う。
今ではぼくは結婚して妻と子どももいる。仕事をやめた母も、一緒にのんびりと暮らしている。弟のマサルはなんとハワイ大学で経営学を学んでいて、
「ハワイなんて興味なかったのになぁ」と言っては笑う。
コロはぼくが大学を卒業するまで生きていた。今は天国に行ってしまったが、母の帰りが遅くてぼくたち兄弟が二人きりでさみしい時、いつもなぐさめ励ましてくれた。
あの時ハワイ旅行に行った老夫婦は今では共に九十代だがまだまだ元気にしておられる。二人とはあれ以来ずっと交流があり、ぼくたちにとっては素晴らしい出会いだった事が後からわかった。おじいさんは小さな工場の経営者で、当時は経営を息子さんに譲って引退したばかりだったのだが、ぼくは時々遊びに行くうちに機械のことが面白くなり、技術者としてその道に進んだ。一方、弟は経営の方に興味を持ったというわけだ。

あの日、夕暮れが迫る中、一生懸命青い紙一枚を探した。コロのため、母のため、弟のために。
あの時ぼくは一等以上のものを引いたのだ。
みんながにこやかに集う居間で、ふとマサルと目が合う。
ぼくたちがんばったよね、おにいちゃん。マサルの目がそう言っている。
ぼくは微笑みを返す。
お前がくれた半分のキャラメルの味もわすれないよ。

おわり (2021/1 作)


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