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掌編小説【コーヒー】

お題「チャイム」

「コーヒー」

ランチタイムが終わり、僕はコーヒーカップをカウンターに戻す。隣にいた同僚がカップを眺めながらふと、
「そういや、コーヒーカップの『コーヒー』ってなんのことだろうな?」
と言うので、
「昔、ストレスや疲れを取るのによく飲まれていたものらしいよ」
と教えてやった。仲間は、へぇと不思議そうな顔をしていた。僕たちはコーヒーというものを知らない。現代では『ストレス』や『疲れ』を感じることがないからだ。五十年前に画期的な新薬が開発され、それを毎日飲むことで僕たちは疲れなくなったのだ。肉体的な疲れだけではなく、精神的なストレスと呼ばれる『イライラする』とか「辛い」「苦しい」「悲しい」といった心の負担も感じなくなった。
とはいえ、そもそも『イライラする』とか「辛い」「苦しい」「悲しい」という感覚がどういうものなのか僕たちは知らない。知っているのは老人だけだが、今では、かつてのことを知る者はかなり少ない。疲れをとる薬は画期的なものだったが、唯一の副作用が、誰もが七十歳で死んでしまうことだったのだ。薬が認可される時には随分議論があったそうだが、いざ認可されると、ほぼ百パーセントの人がこの薬を求めた。いらいらしながら疲れ果てて長生きするのか(しかも長生きできるとは限らない)、元気に楽しく七十年生きるのか。
この薬を飲む者は必ず七十歳で死ぬ。しかし、そのことに恐怖を感じることも悲しむこともないのだ。ストレスがないのだから。よほどの変わり者以外、人はみな薬を飲んだ。
そして七十歳の誕生日がくると各自に支給されている端末が鳴る。この日だけの特別な音で作られたチャイムだ。眠っていても必ず目が覚めて聞き逃すことはない。そして事務的な音声案内が流れる。
「一週間以内にあなたはお亡くなりになります。ご準備ください」
昨年、祖父の誕生日にもチャイムが鳴り、それから五日後、眠っている間に心臓が止まった。安らかな顔だった。
だが、生前祖父は時々語っていた。
「この薬ができる二十歳までは俺は普通に生きていた。学校や家、バイト先でイヤなこともあった。その度に泣いたり怒ったりしていたなぁ。でも、この薬を飲み始めてからは毎日平和だ。なんの不満もない」
でもなぁ、と祖父は言った。
「もう忘れかかっちゃいるが、あの頃の感じ。あれをもう一度あじわいたい時もあるんだよ。怒ったりわめいたり泣いたりなぁ。疲れるし、そりゃもう辛いんだがな。それがどうしてか…」
「薬をやめれば、またそうなるかもしれないよ」
僕がそう言うと祖父は首を横に振った。
「今さらな、俺一人そうなったって、誰にもわかっちゃもらえんだろうし」
そう言いながら、祖父は時々コーヒーを飲んでいた。今では飲む人がほとんどいないのでコーヒーは高級品だったが、ストレスがなく高齢者もいない社会はゆとりがあり、誰もが豊かになっていた。
「コーヒーを飲んでも、ホッとしないんだよな。あの『ホッ』ていうのはわるくない感じだったよ」
カウンターに戻したコーヒーカップを眺めて、僕はそんな祖父のつぶやきを想い出していた。
でもそこには悲しみはない。柔らかな懐かしさはあるが苦しさはない。『悲しみ』や『苦しみ』がどういうものかは、昔の小説を読んだり映画を観て想像するしかない。
しかし『胸が締め付けられるような懐かしさと哀しさ…』そう書かれていても、それがどういうものなのか僕にはわからない。

祖父のチャイムが鳴った日、祖父はコーヒーを淹れた。そして僕にも飲めと言いながら、
「やっぱり『ホッ』としねえなぁ」
と笑った。
祖父が亡くなった日、枕の下からちょうど五日分の薬がみつかった。チャイムが鳴ってから祖父は薬を飲んでいなかったのだ。

「『ホッ』とする、ってそんなにいいのかな」
僕がつぶやくと、同僚は、なんのことだ?と首をかしげた。

おわり (2022/7 作)

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