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掌編小説【スミレ】

お題「種」

「スミレ」

あたしは両親の顔を知らない。随分昔に死んでしまった。そのことを誰に聞いたのかも覚えていない。
ただ、そうだということだけを知っている。
だからあたしは一人ぼっちだ。
あたしは外の世界を知らない。ほぼ家の中だけで静かに暮らしている。家は狭いけどあたしには快適だ。買い物に行ったりはするけど誰ともしゃべらない。お金は持っている。家もお金も両親が遺してくれた。必要になると銀行から引き出して少しずつ使っている。

ある日、買い物に行った時、道路の端のほんのわずかな隙間から紫色の小さな花が咲いているのを見つけた。あたしはなぜか気になってしゃがみ込んでよく見た。細長い葉っぱに、鶴の首みたいな茎、その先にひらひらした小さな花びらが付いている。
あたしは本屋さんに立ち寄って植物図鑑でその花を調べてみた。あたしの手が止まった。あの紫色の花の写真だ。そして書かれていた名前を小さな声でつぶやいた。
「スミレ」。
それはあたしの名前だった。

あたしは自分の名前の意味なんて知らなかった。ただ記号みたいに「すみれ」なんだと思ってた。学校にもほとんど行ってないから花の名前だなんて知らなかった。
道端のスミレは、それからしばらく咲き続けていた。
あたしは通りがかるたびに誰かに踏まれてやしないかと気になって、しゃがみ込んで確かめるようになった。
少し間があいた5月の終わり、スミレの花は枯れて、花のあった茎の先に細長い茶色いものが付いていた。
あたしはまたしゃがみ込んでよく見た。それは少し開きかけていて、中には小さな小さな丸いものがズラリと並んでいる。なんだろうと思ってあたしはさらに顔を近づけてみた。
「ぴしっ」あたしは額にちいさな痛みを感じた。なにが起こったんだろうと、額をこすりながらもう一度顔を近づけてみると、細長いものの中にあった丸いものが一つ減っている。
あ、と思った。これがはじけて私の顔めがけて飛んだのだ。
でも小さな丸い弾丸はどこに行ったのかわからない。あたしは弾丸が飛ぶところを見たくて、じっとしゃがみ込んだままズラリと並んだ小さな弾丸たちを見ていた。
それらは時間をおいて少しずつ「ぴんっ」「ぴしっ」と音を立てて飛び立っていった。
顔にぶつかってくるのもいたし、音だけさせて一瞬で消えたものもあった。
あたしはまだはじけていない茶色い細長いものをいくつか取って手の平に握りしめると、長い間しゃがんでいたせいでガクガクになった膝をゆっくり伸ばして立ち上がり、家に帰った。
そして植物図鑑で調べてから植木鉢と土を用意して、連れ帰った弾丸たちを土の中にねかせた。

一か月くらいした頃、小さな緑色の葉がたくさん出てきた。
あたしはその小さな葉をじっと眺めた。
この小さな葉は、みんな土の中のあの弾丸から出てきたのだ。
それはとても不思議なことのような気がした。あの小さな弾丸の中にこの小さな葉がしまわれていたということだ。
そしてさらにこの葉はどんどん大きくなって、次の春がきたら紫色の花も咲かせるのだろう。
その全ての計画が、あの小さな弾丸の中にあったということだ。
あたしはため息をついて「あんたたちすごいね」とつぶやいた。

スミレ。すみれ。
あたしは顔を知らない両親のことを思い、同時に道端に咲いていた紫の花を思った。
あたしに「すみれ」という名前を付けてくれた人たち。
両親はあたしにどんな花を咲かせる計画だったのだろう。

今のあたしはまだ土の中にいる弾丸だ。
でもそうだとしたら、あたしもいつか土の中から出て葉を広げ、花を咲かせるはずだ。
あたしはそっと緑色の小さな葉に指で触れた。葉はくすぐったそうに小さく身をすくめてから、あたしに笑いかけるみたいに揺れた。

おわり (2020/6 作)

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