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【奥会津・南会津の旅2019⑤】真夏の光と影…旧山王茶屋(福島県南会津町)

「奥会津・南会津の旅2019」5回目は、前回同様、南会津町の奥会津博物館に隣接した古民家集落より、日光街道の山王峠にあった茶屋の建物を利用した古民家レストラン「山王茶屋」の写真を中心にご紹介。

この日はとにかく暑い日でしたが、そのぶん、夏らしい光と影の陰影を楽しむことができました。写真も撮りまくっております。

前回記事はコチラ↓

山王茶屋の公式サイト↓
私が訪問したのはコロナ禍前の2019年。その後、コロナ禍となり、お店の状況が少々心配でしたが、公式サイトを拝見する限り営業されているようです(おでかけをお考えの方は、念のためご確認ください)

まずは茅葺き屋根の外観。

名称は「山王茶屋」(旧渡部家住宅)
創建は元和3年。1617年……って、すごっ! 確か関ヶ原の戦いが1600年ですから江戸時代初期にはすでに設置されていたということになります(ただし、当時の建物は戊辰の役で焼失)

以下、案内板より。
「山王茶屋は、もと南山通り(下野街道)の山王峠入り口に立っており、おもに旅人の休泊所として利用された。
明治17年に編纂された「南山新道之記」には、雪中行路の便をはかるため、元和3年に建てられたと記されているので、およそ400年前の創建と考えられる。
 戊辰戦争時の慶応4年(1868)、西軍に焼討ちされ焼失するも、翌明治2年には、焼ける前と同規模に再建されたと伝えられている。
 構造的な特徴は、一般旅客の出入口とは別に、武士階級専用の玄関「乗り込み玄関(のっこみ とも)」など近世宿駅の本陣形式を備えている点である。
 江戸時代、宿駅にはこの形式の本陣が設置された。しかし、明治5年に宿駅制度が廃止され、さらに戦後の住環境の変化の中で、そのほとんどが姿を消していった」

以下は日光街道に関する解説板。
「会津西街道とは近年の呼び名で、かつて田島地方では日光街道と呼んでいた。街道の名は行く先に向かって付けられることが多かったのである。
 会津藩の記録によると、古くは南通り・南山通りと見え、後に下野街道と公称された。日光街道は、会津と江戸をつなぐ重要街道で会津・北越諸藩大名の参勤交代時にも使われた。
 若松〜今市間の十七宿を結んで構成され宿場内は道路の中央を掘が流れ、屋敷と道路の間には馬寄せが設けられていた」

のちの資料のために、山王峠に関する情報を貼っておきます。国境にある峠も好きーというか、「境界線」にも惹かれます。山王峠も車でですが、何度か超えました。また超えてみたいな。

軒の垂木がいい感じです。

入った瞬間から、光と影…

これは昔、お米を炊くのに使っていたものかな?(実家にあったような気がします)

暗くてわかりにくいかもしれませんが、天井の梁もすばらしい。露出修正すればよかった…!

囲炉裏の煙にいぶされた神棚。

美しい逆光。

床に差す格子の影がステキ…

なので、わたしもついつい1杯(ノンアルですが…(;^_^)

お通しをいただきました。

この雛人形は山王茶屋じゃないかもしれません。
別な古民家かも?

縁側。

縁側より室内。

職人技を感じます。

まだまだ続く「奥会津・南会津の旅2019」。
次回は、国選定重要伝統的建造物群保存地区の「前沢曲家集落」をご紹介する予定です。


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