記憶回廊

新潟・長岡等で小さな落語会を開催し、右往左往している新潟県民。お呼びしているのは立川談…

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新潟・長岡等で小さな落語会を開催し、右往左往している新潟県民。お呼びしているのは立川談吉さんと立川志の太郎さん。ぼんやり主催者の日常と現実をちまちま記載。

最近の記事

街の報せ

私達が落語会を開催している新潟という街に沼垂という地域があって、 そこに写真集を集めた小さな本屋がある。 BOOKS f3というその店は一人の若い店主がやりくりをしている。 出会った頃、私の地元の出身者に牛腸茂雄というカメラマンがいて、 そこの実家が彼の作品で溢れかえっていてやばいという話をした。 彼女はもちろん牛腸茂雄のことを知っていて、話をふったこちらが説明を受けたほど写真を愛していて知識も豊富だった。 悲しいかな新潟は芸術後進県だ。そんな県で写真集に特化した本屋を立

    • 定点観測の今後について

      前回の更新からかなりの時間が立ってしまいました。 およそ一年あまり放置していたことになります。 というのも、 コロナが起因となり、順調に続くと思われていた落語会の運営が成り立たなくなったからです。 コロナウィルスという名前を耳にしたのは今年の1月下旬でした。 「なんかまた新しい風邪っぽいやつでたらしいね。」 「またSARS・MARSのときみたいに空振りで終わればいいね。」 そんな会話を職場でしたことを今でも思い出します。 2月8日、立川談吉さんの独演会を東京に見に行き、

      • 立川志の太郎定点観測中止のお知らせ

        6月13日・14日に予定しておりました『立川志の太郎定点観測 第3回落語会』ですが新型コロナウィルス感染症(COVID-19)感染拡大防止の観点から、公演を中止とさせていただきます。  全国的に感染の歯止めがかからないCOVID-19の猛威。我々もどうにか落語という演芸を届けられないかと模索しておりましたが、個人が動くと感染を拡大させてしまう危機が隣り合わせにあるという事実を深く深く受け止め、万全な体制で公演ができるときまで落語会を開催しないという結論に達しました。楽しみに

        • 『では。』

           一度だけ完全招待形式の会をしたことがあった。 それは今でも内容を言えない会で、楽しいとはかけ離れた時間だった。 砂を噛むような時間。 今でも思い出すと灰色だ。 その会に来た友人で一際目を真っ赤にしている人がいた。 「悔しい、悔しい…」と何度もつぶやいて。 彼女は夢を持ち世界に立ち向かったが、現実の冷たさに落胆し、 一旦退避するため新潟に帰ってきた人だった。 故郷に基地を構えた彼女はその人柄と堅実な仕事っぷりで あっという間に話題の中心人物になっていった。 彼女にその会を

        街の報せ

          立川流定点観測について

          いままで、ここ何日かにわけて、我々の落語会(定点観測)に出演している(いた)落語家及び元落語家を紹介してきた。 共通して言えることは、全員が話芸という芸に真っ直ぐな姿勢で向き合っているということ。 落語は噺家一人で作り上げられるものではなく、お客様のご協力があって完成する世にも奇妙な芸だからこそ、 掴めない世界があり、一回の舞台が全く違うものになる。 そして思考を止めない者がお客様の頭の中に入り込み、 お客様とともに異空間を作り上げるのだ。 一人ひとりの個性を研鑽して突き

          立川流定点観測について

          立川志の太郎 定点観測

          『やはり二人会というものをしてみたい。』 落語会を始めた人なら誰しも思うことを我々も考え始めていた。 前回の記事に書かせていただいた我々落語会の柱、立川談吉さんに 「二人会をしたいのですが、どなたがよろしいですか?」 と聞いたところ、即答で「志の太郎さんがいいでしょう」と返ってきた。 何度問うても「志の太郎さんがいいです。」としか言わないので、 では信じましょう。と出演依頼をしたのが立川志の太郎さんとの出会いだった。 初めて観た志の太郎さんは疲れていた。 というのも、私が

          立川志の太郎 定点観測

          立川談吉 定点観測について

           立川流二つ目 立川談吉。 その人を知ったのは、いつだったか思い出せない。 いつの間にか記憶にあり、いつの間にか好きな落語家に名を連ねていた。 普通は強烈なインパクトや熱狂的な笑いがあって好感をもつはずだが 何故か談吉さんはその類には入っていない。 声質は高音の部類、そして独特のリズム感で噺をし、 いつもまくらでは照れ笑いを浮かべている。   落語会を始めたきっかけになった噺家の廃業の置き土産を回収しに 談吉さんは新潟にやってきた。 新潟駅の改札口で、初対面なのにも関わらず

          立川談吉 定点観測について

          ex落語家について②

           立川春吾の落語会をするのであれば、それ相応の名前をつけなくては。 そう思っていたわけではなかった。 人生踏み外したついでだからと、友人が実家の佐渡に水道管の水抜きをしに行くというのに付いていった先の、寿司屋のカウンターでうまい鮨を頬張りつつ、思いついたのが±3という名前だった。 座布団から浮いているような、沈んでいるようなイメージを記号に表したらこれしかなかった。 以後、±3事務局から±3落語会事務局、と少しわかりやすいワードも入れて現在は活動している。 立川春吾とは冬の

          ex落語家について②

          ex落語家について①

          私が彼を知ったのは彼が前座だったときのこと。 師匠の会の前座で落語を演じていた。 師匠が上手い人だから弟子が上手いのは当たり前か、という感想の他に、 「あの人、なんか座布団から浮いてない?」 「いやもうなんか佇まいが可怪しいし」 「顔はいいのに、なんか妙」 頭の中に落語に集中しようという気持ちとは別の部分が どんどん気になり落ち着かない心持ちになってきた。 そうなるともう解決策は一つ、手帳に名前を書き、覚えておこうと念じるのみ。 書かれたその名は『春太』 それから数年後、心

          ex落語家について①