定点観測の今後について

前回の更新からかなりの時間が立ってしまいました。
およそ一年あまり放置していたことになります。
というのも、
コロナが起因となり、順調に続くと思われていた落語会の運営が成り立たなくなったからです。

コロナウィルスという名前を耳にしたのは今年の1月下旬でした。
「なんかまた新しい風邪っぽいやつでたらしいね。」
「またSARS・MARSのときみたいに空振りで終わればいいね。」
そんな会話を職場でしたことを今でも思い出します。

2月8日、立川談吉さんの独演会を東京に見に行き、
その次の週には社内で感染者増加地域への立ち入りを注意する通達がでました。(その後、立ち入りを禁止→承諾付きなら了承に変更)

そこから社会の情勢がどんどん悪化していき、
昨年の年末には予定が立っていた
6月の立川志の太郎定点観測、11月の立川談吉定点観測は
すべて公演中止とさせていただきました。

6月は社会的にも落ち着いていなかったから中止は理解できるけれど、
11月は他の公演もしているし、文化事業への給付金申請をすれば公演可能ではないの?というお声があることもわかっております。
そうですよね、お金の面だけ考えれば落語会は開催できると思います。
志の太郎さんや談吉さんのことを思えば、地方で落語会を開催するということは義臣に近く、本心からいえば今すぐにでも落語会をしたいです。

ですが、私の仕事を考えるとそれは無理なお話なのです。
というのも、私は落語会を主催しておりますが、医療機関を職場としている者なのです。
医療関係と言っても末端ですので、直接何かがあるとは言えないのですが、
組織に属している以上、その責任は果たさなければならないと
全てを自らキャンセルしました。
出演者への連絡、会場への報告、お客様への通達。
一つ一つが全て苦しさと詫びる気持ちしかない状態が続いています。
けれど考えるのです
小さい会場、狭い空間でいくら席の間隔を開けてとはいえ、
そんな状態でゆっくり楽しく落語はみれるのだろうか?と。
責任を負えない状態を作り出し、後から「大変だー!」となるぐらいならば
一度、ゼロに戻るのもやむなしではないのか?
毎日、考えるのは「演者への申し訳無ささ」と「忘れられる恐怖」です。
先人は「無理をしても続ける」という選択を選ぶ方が多かったように思いますが、
アフターコロナを生きていく人間として選択したいのは
「無理をしないで楽しい空間を持てるようになるまで、苦しいけれど待つ」です。

来年も開催できるのかわかりません。
今から冬の間にコロナがどれだけの猛威をふるうのか、全く予想がつかないのでなんとも言えないのですが、
私に今出来ることは「ご飯をもりもり食べて、運動し、体力つけて、よく寝て、ラジオ聞いて、ゲームでもして待つしかない。」ということだけです。

例年、
落語会を愉しみしてくださっている方々には本当に申し訳ございません。
定点観測は当面中止です。

驚くほど意味のないご報告になりました。
皆様、本当に本当にご自愛くださいませ。

±3落語会事務局 八百枝


立川談吉さん・立川志の太郎さんを新潟県下にお招きし、「定点観測」という落語会を開催しております。次回は2019年12月、談吉さん・志の太郎さんの二人会を新潟・長岡にて開催。ゲストはナツノカモさんです。