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『では。』

 一度だけ完全招待形式の会をしたことがあった。
それは今でも内容を言えない会で、楽しいとはかけ離れた時間だった。
砂を噛むような時間。
今でも思い出すと灰色だ。
その会に来た友人で一際目を真っ赤にしている人がいた。
「悔しい、悔しい…」と何度もつぶやいて。

彼女は夢を持ち世界に立ち向かったが、現実の冷たさに落胆し、
一旦退避するため新潟に帰ってきた人だった。
故郷に基地を構えた彼女はその人柄と堅実な仕事っぷりで
あっという間に話題の中心人物になっていった。

彼女にその会を見てほしいと思ったのは、行動や言葉から力が溢れている人に落日の会はどう見えるのか聞いてみたかったということと、この事実の証人になってほしいという願いからだった。
今にも消えゆく炎を新しい蝋燭に燃え移らせたい。
落語の死神という噺に出てくる主人公のような気持ちだったのかもしれない。

会が終わった後、泣きはらした目で彼女は私にこう言った。

「約束してください、これを続けると。私、ずっと見てますから。」

理想と現実の間で人は折り合いをつけて生きている。
波風を立てなければ、それはゆっくりと進んでいくのかもしれないけれど、
それを許すことができず、大きく傷ついてボロボロになり
全てを投げ捨てる結論を出した。
彼女も、彼も、私も。


それから一年後、彼女の縫った服はリオパラリンピックの閉会式で世界の目に触れた。
お針子としての参加だったけれど、彼女の作ったものが世界に発信された。
過去、夢見た形とは違ったけれど、それは紛れもなく彼女のやりたかったことにつながっていて、「本当に嬉しかったんです!やりきった!って思って!」と笑っていた。


彼女は数カ月後の春、桜と共に旅立った。
今はどこらへんにいるのだろう。
もう言葉も交わせないほど遠い世界にいるけれど、
案外近くで見ているような気もして。

彼女が東京で腐っていた時、よく見にっていた寄席では今日も落語が口演されている。
人は、移ろい、流され、立ち止まり、出会い、別れる。

あの時のあの人は新しい何かを始めて、またここに帰ってくるよ。

私が続けてなかったら帰る場所もなかったんだ。
はたと気づいてあの笑顔を思い出した。


立川談吉さん・立川志の太郎さんを新潟県下にお招きし、「定点観測」という落語会を開催しております。次回は2019年12月、談吉さん・志の太郎さんの二人会を新潟・長岡にて開催。ゲストはナツノカモさんです。