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誰に着られることもなく

服に関して考えたばかりではあるが、もうちょっとだけ考えてみる。

僕には服に関心を持たない友人もいて、いつもだいたいダサいなぁと思えるような服をお召しになっている。(失礼だとはわかってんだけど、いるじゃないか、実際)


そんな人がポロっとこぼす社会の愚痴というか、みんなが見ていない穴というか…が、要点をついてて非常におもしろかった。

今は自分の性別がどうあれ、特に特別何も言われない時代だ。”なんならできちゃった結婚”なんかも今では珍しくなく、付き合っていてちょうど良い時期になったからこどもができるのも当たり前だと言わんばかりで、そこに関して特にあえて言及するのもナンセンスと言われるんだろうか?


それはさておき。
そうやって性のことも色々見過ごされている中、服のことなんて問題視もされていないような始末なんだという。

何がそんなに問題なのか。

服の種類も数も膨大にあるということは、売れ残りだって膨大な数になる。
地元のセレクトショップがシーズンのたびに安売りしているところを見ると、なんとも絶望感があり、あの売れ残った服がいったいどこへ行くのか僕は詳しくはないが、ともかく……作った服が全て売り飛ばされて人々の手に渡るかというとそうでもないらしい。


じゃあどうなるのかっていうと…、「破棄」されるのである。
僕らが新しい服にワイワイと喜んでいるそのワキではガサガサとゴミとして燃やされているわけである。

だけど皆は「性」ほど関心を持たない。
結局、ジェンダーのことは自分が益を得られないがゆえに懸命に訴えるが、服に関してはある程度益を得ているがゆえに関心を持つことなく問題視はしていないのだというのだ。
……。


益を得ていると訴えることも問題視することもしない人間の愚かさを垣間見たような気がした。


1つの問題を無くそうと懸命になりすぎるとその問題解決への行動がまたひとつ別の課題を生み出す。SDG'sが同時に様々な課題解決の目標を持っているのも理由がわかったような気がする。

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