見出し画像

あん時は言葉をちゃんと選んでいました

仕事を辞めてこれからどんな仕事をしていこうかと考えた時に、だいたいみんなも思うであろう事と言えば、「また以前のような職に就いてみようかな?」と思う事でしょうかね。もしくは、全く違う畑で活躍できるか考えてみようと考える事でしょうか。


ひとつの仕事を長年続けて手に職をつけたら楽になれるとか、将来は安泰だと言われて育ってきましたが、同じ仕事をしたって毎日つらいもんはつらいですし、将来は安泰だとも思えません。いつでもどんな時代においても誰に対しても安泰なんて訪れなかったんだと思います。

どんな時も、人類は額に汗してパンを食べてきました。

つまりは全く違う仕事をしたって同じ事です。
どんな時でも、毎日同じ事が続いたとしても明日が昨日今日と変わらないという保証はついてこないのです。
大丈夫です。相当なまけていたり悪い職場でなけりゃ、何をしたって同じでだいたいが少しのお金がもらえて、いくらか生活できるのは変わりません。


だからまた同じ仕事をしようが、違う仕事をしようが変わらないと思うわけです。


と、思って
また、水泳の先生でもしてみようかなぁなんて思ったりしました。
まだまだ頭をよぎっただけですけどね。


こどもと接していると学ぶ事がたくさんあります。

きれいごとでなく、“オトナになってから忘れてしまっていたもの”を教えられるというんでしょうかね。
どこかのヤンキーが聴いていそうな青春ソングっぽい事が本当に起こります。


その度に
ああ、自分はなんて汚れてしまったんだろうかと反省するんです。

僕が以前、オトナって難しい言葉を使いすぎているなぁと思っていました。

それが何?何かいけないところがあるの?


って感じるかもしれません。しかし、難しい言葉を使って生活している事って効率のいい事ではあるのですが、僕にとってはちょっとだけストレスだったんだと気づきました。なんでだろ。
あと、難しい言葉を多用していると、自分は理解できるのは当然なんですが、誰かには伝わっていない事があります


でも、実際はそういう可能性を無視しています。

つまり、自分勝手な話し方をしていたりするかもしれないのですよね。だけど会話は自分だけのものではありませんよね。

自分と、“あなた”のもの(もしくはそれ以外の何人か)です。
自分ばかり話していては会話というものは成り立たないものです。


自分が話して、あなたがうなずき、君がこう言って、僕もうなずく。そういうものです。

だけど、意味のわからない難しい言葉を連ねていると会話でなく、一方的な話でしかなくなってしまいますね。
こどもと話していると、そういう事になりがちです。特に自分のこどもがいない僕はそうでした。

それってなんだか“優しくないな”と思ったんですよね。


いやいや、それが良くないとかダメな事なんだとかは言いませんが、「伝わらない事がよくある」のっておもしろくない事です。


僕は自分がそうなっていたから、それでは良くないと思ったんですね。


伝わる言葉というのは世代事にずいぶんと変わりますし、ひとそれぞれで理解できる言葉もずいぶん違います。
それによって自分も変えていかなきゃなぁなんて厚かましくも思ったのでした。



優しく優しくな、これからの僕は。

気軽に読んでいただきたいので、ひとつひとつの記事に値段は付ていません。靴磨きや仕事のお手伝いなどを投げ銭でやってみると、様々な方が僕の仕事にいろいろな価値をつけて下さってすごく助かります。僕の記事にもあなたの価値をつけていただけると嬉しいです。