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バレーボールとの会話

バレーボールとの美しい友情と、かなしくて笑える友情の映画を見た。

いや、本当は無人島に流れ付いてしまった男の話、「キャスト・アウェイ」を見た。
この映画が出てもう20年近くになるのか!

この映画が出て、友達と見に行こうかと話したのだが、結局見に行かずにしばらくしてからビデオ(DVD)で見た記憶ある。

映画の概要はこうだ。
飛行機事故によって無人島に流れ付いてしまった主人公は4年もの間島で暮らすことになるのだが、飛行機の中の運搬物が一緒に漂着していて、それをうまく使いつつ生き延びたらしい、という話だ。

流れ着いた数々の運搬物の道具の中にバレーボールがあった。それに意図せず付けた自分の血液で顔を描いて“ウィルソン”と呼び、彼と会話をして生活をしだす。それによって孤独を凌ぎつつ過ごしだすのだが、おもしろいのが、ひとりきりであれやこれに悩んでいるとうまくいかなかったのが、ウィルソンという知り合い(?)もしくは話し相手(?)がいるだけで、いくらか落ち着きを取り戻して“安定した思考”を取り戻すのだ。

最初はそうやって様々なことに苦労していたのだが、そうこう生活をして、話はいきなり4年後となる。
無人島生活が4年にもなると、かなり生活は充実するらしい。当然バレーボールのウィルソンも健在でコミュニケーション能力(?)も上達しているようだった。会話はもちろんのこと、喧嘩だってできるくらいに!

4年もすると容姿ももちろんすごい。髭はモジャモジャで髪もボサボサ、腰巻1枚で食べ物にも困らず、魚なんて生で食べる野生生活の上級者へと変貌を遂げていたのだ。

新たなる漂流物から脱出方法を思いつき、それを実行してついに脱出に成功するが、イカダはボロボロになってしまって、あろうことか4年間共に過ごしてきたバレーボールのウィルソンがイカダから離れてしまう。

なぜだろうか。


そこがいっちばん切ない。


帽子が飛ばされてしまうとか、おじいちゃんからもらった時計が壊されるとか、映画の中では物を紛失、もしくは壊れてしまうという“物”についての切ないシーンがいくつかあるのだが(詳しくないけど)、顔を描いたバレーボールが遠くへ流れるシーンがこんなにも切ないのかと思う。グッとくるシーンだ。
しきりにウィルソンの名前を呼んでは、「今行くからな!」「助けてやるぞ!」と泳いで取りに…いや、助けに行こうとするが、残念ながら手が届かずに諦めてしまう。
「ごめん、ごめんよウィルソン…」と泣きながら夜を過ごして、そのまま疲れと共に眠りにつくシーンは、胸を打つ切なさで、「僕も今度からバレーボールを大切にしよう」とかって思わされる。


その後は無事に救出され、普段の生活に戻るのだが、“自分が死んでいる”世界に舞い戻ってくると、死んだと思い込んでいたひと達が喜び驚いて、迎えてくれることになぜか“良かったね”などと安堵する気にはなれず、ひたすらにバレーボールのウィルソンとの別れが切ない。
なぜここでひとの温かさに素直に喜べないのだろうかについて、誰かと話せば理解できるのかもしれないけど、僕にはちょっとわからない。


会話について考える、これからの僕は。

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