戦略性はそこまで必要ないのかも…
ゲームの「UNO」について考えている。
UNOのおもしろさを調べてみると、調べれば調べるだけ…何で世界的に有名なのかがよくわからねぇ!
確かに、ルールの簡単さゆえに幅広い世代に楽しまれるというのはわかるのだけど、戦略性の無さが目立ってしまう。(たぶんその戦略性にまだまだ気づいていないのだろうね)
しかし、大きな大会が開催されているから、おそらく戦略性はあるんだろうと思うのである。
全てが運で進んでいく内容であるなら、それこそ大会なんてする必要性すら無いような感じはする。
運で全てを決める勝負であるなら、それこそ「あみだくじ」の世界大会があったっていいのである。
しかし、「人の考え」が加わる限りは少なからず運だけのゲームではないのだ。
ただ、僕的には配ってもらった手札のカードを見て、自分が勝てるかどうかまでの筋道みたいなのが考えられないとその場だけで考える感じになるからそれがどうにもつまらないなぁと思うのである。
ちなみに、僕らがよくやっているUNOのルールはほとんどがローカルルールらしい。
違う色のカードであっても数字が同じであるなら重ねて出してもよいとか、2枚ドローするカードを出されても、同じ2枚ドローカードで次の人へ回すことができるというもの、これらは公式ルールとは違っているらしい。
数字が同じであろうと自分の手番には1枚しか出せないし、ドローカードの効果は必ず受けなければいけない。
あとは、アクションカードでもあがる事はできるというのだ。
自由なのか不自由なのかよくわからない。
こうなると、単なる“手順を追ってカードを消費している”かのようなゲームになるのではないかと、僕は考えてしまう。
もちろん完全に手順を追うだけのゲームには決してなることはない。
しかし、かなり白熱したゲームになるとか先読みが重要なゲームになることはあまりないだろう。
もちろん将棋のように、やりまくって経験があったり知識があれば勝てるというゲームもおもしろくはない部分がある。
それこそ、“うまい人が勝つ”ばかりのゲームであるならそれこそ流行りはしなかっただろう。
お?
そこかな?
UNOの魅力とはそこにあるのではないか?
パッと見ではゲーム展開が読めないところ。
何度も経験している人がうまいわけではないという運の要素が割と高いこと。
こういう点があるからこそ、誰もが受け入れやすいし、過度に悔しい思いをしたり喧嘩になったりしなくていいのかもしれない。
単なるコミュニケーションのツールとして考えるなら、ゲームとしての評価は非常に高い。
わかりやすくて覚えやすいし、「UNOって言ってないよ!」などと他人とのコミュニケーションもできる。
ハンデなどしなくとも、こどもでもオトナでも関係なく遊べる。
色がはっきりしていてわかりやすい(間違えることが少ない)
戦略性が大きくないので、たとえカードを見られてしまったりカードを落としてしまっても負ける要因にはなりにくい。
などなど、いい点をたくさん見つけることができる。
平和に遊ぼうと思ったらUNOがぴったしかもしれないぞ。
必ずしも戦略性があることがゲームの価値と比例するかって言ったら、そうでもないな。
ゲームはその場を楽しむことが大切なんだよな!