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よく喋るひとと聞いてるだけのひと

よく喋るっていったい何なのだろうか?
逆に、あんまり喋らないって何?

周りのひとにそういうよく喋るひとと、そうでない聞いてばかりのひとっていますよね。

もしくは、行動がビュンと速いひとっていますね。
よく喋るひとだったりビュンビュン速いひとってすごいなぁと思うのですよ。

何がすごいのかって、そういった「行動力」を持つひとってひとよりも情報量が多いわけなんですよね。
だから、何をやるにしても何を言うにしても、「動きたくない」と思っているひとよりもいろんな学ぶ事が多いと思うんですよ。


昨日も考えたんですが、僕は昔からノロマで行動が遅いです。
おっとりしているとかふんわりしているなんて言葉で表せない、どうにもならない「ノロマ感」があります。

亀とかカタツムリとか、ナマケモノとはちょっと違うノロマです。


そういう自分のトロさは、俊敏で活発なひとを見るとハッとします。
「このひとにはかなわない!」と感じ、瞬間的にパッと「いいなぁ」なんて、羨ましく思います。

そりゃあ、行動が俊敏なひとがいれば、その逆にマイペースでゆっくりなひとだっていますけど、声の大きさとか行動や喋りの速さって、強ければ強いで、弱くする事だってできるんですよ。ゆっくり話すことややっくり行動することだって可能なんです。調節ができるって事ですよ。


なんか、こう言っていると性格のことで損得している感じに聞こえますけど、損得とか嫉妬しているんだとか、能力が高いとか低いとか、そんなことではないんですよね。
結局、せっかく得た情報も“何かに使わないと意味がない”ので、博識でもなくただ単に無駄な早口になってでも良いと思います。何でもいいです。とにかく行動して話すことが多い方がいろんな事でおもしろい経験はできると思うんです。(口は災いって言葉は今は考えないようにして…)


何で僕が、行動や声の大きさを考えたのかというと。
僕はいくらか前に中国語や手話に興味を持ったりしてちょっとだけ調べたり教えてもらったりしたんですが、僕はどっちかっていうと無口な方で、積極的に何かをやったり喋ったりする方でもないのです。そうなると“格段に学ぶ量が少ない”んだなって感じたんですよね。

日常でもそうですよね。
テレビとかラジオってよく喋ります。
そりゃあ、それ自体に情報があるわけではないのですが、情報に繋がっているからこそよく話すんですよね。テレビとラジオっておもしろいじゃないですか。自分が情報を話しておもしろく感じないと、学ぶ事もずいぶん少ないでしょう。僕の家にはテレビもラジオも無いですし、ニュースを好んで見たり聞いたりしているわけではないので、世の中の変化や情報に疎いのです。それと似ていると思います。


基本的に日本語でも自分から積極的に話さないのに、僕が中国語とか手話を習って情報が入ったとしても、「あんまり話さないのであれば得た情報も“出したりはしない”だろうな」って事に気づきました。
完全に無駄だとは言いませんけど、学ぶ事にかなり苦労はするだろうし忘れるのも早いだろうななんて思ってしまったのです。


自分から話したり、質問したり行動して経験してみたりって、おもしろく感じるための重要な能力なのかもしれませんね。


俊敏!、これからの僕は。

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