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身の回りの整理整頓とお掃除をしよう

夢とか願望とか希望を持つことは大事だと思いますが、それだけが大切かと言われると、僕はそうでもありません。パッと瞬間的に感じた将来のイメージは大切かと思いますが、最近思うのが”それを感じて何をしていったり生活をどう整えるのかが大切なんじゃないか”と思います。

そうやって生きている空間そのものが楽しくておもしろいものになるとそれを共有したいひとがわらわらと集まってくるんじゃないか?と考えたんですね。

何を成し遂げるのか成し遂げられるのかと考えることがあるかと思いますが、結局のところ付き合うひと、ここで言うのは家族だったり友達だったりの近しいひとを選んで付き合っていくのが大切なんだなぁと思います。というのも…

いろんな、様々なことにチャレンジしたり学んだりしている、多種多様なひとに出会ってきましたけど、何が大変だったかと聞いてみると、なんだかんだで「壁」になるのが「反対してくる人間」がほとんどでした。
反対してくる、反抗してくる、対抗してくる、意見してくる、そういうひとが、じゃあ全くいらないかと言えばそれは間違った考えですが、そういう必要な反対をしてくるというひとはあくまでも「同じことをやりたい」と言って”同じ方向を向いているひと”に限ります。


僕が言いたい悪い反対者というのは、真反対を向いて「あっちの方がいいよ!」と言ってくるようなひとのことです。もしくは、自分のやっていることに関して簡単に「やめた方がいい」と言ってくるひとのことなんです。


そういう何も考えず反対してくる人間ってのは、自分の頭を混乱させることをしてきます。
たとえそれが自分の親や兄弟であってもです。


付き合う何%かのひとの中には、「自分とあなた」という関係に関して“マウント”を取ろうとして来ます。そういうのが僕は、ハッキリ言ってウザい。
「あんたウザいからどっか行ってくれ。もしくは、どこか行かないのであれば僕がどこかに行きます。」
そんな風に感じています。何でフラットにできないのか。



たとえばです。
「自分が食べる食事」を料理している時に、包丁お持ち方がどうとか、ちょっと味見させてと言って、味付けの基本がなっていないとか、料理する格好もそもそも何なのさ?…と言われるのってどうでしょうか?

こっちからすると、誰かに食べさせる丁寧な料理なわけでもないし、包丁でパフォーマンスするわけでもないし、効率よく切るとか考えていません。そもそも汚れてもいい格好で料理しているのかもしれないじゃないですか。
大切なのは自分がそれをやることと、それを自分で消化することです。このたとえ場合。


そう、自分のために自分でどうにかしていることであれば、本当に自由で、何やってもいいと思うんですよね。


それをぐちぐちと言われたかないよという話です。
別に嫌なことがあったとか、ストレスが溜まっているわけじゃないですよ。
確かにいろんなひとのことで、気持ち悪かったりムカついたり腹の立つことってたくさんあります。
だし、今は、拒もうと思えばハッキリ趣旨を伝えて拒むことのできる時代です。
だからこそです。


「自分の生活は、美しく整えた方がいい」という話なんです。


ここでいうのは、家具とか道具よりも、「自分を助けて支えてくれるひと」「一緒になって楽しんでくれるひと」を周りに配置して自分に影響をくれるひと達のことや関係性をうまく整えた方がいいということでした。

友人の部屋や自分の部屋とか空間を掃除していて、そう思ったんですね。


素直で清潔であることです。これからの僕は。

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