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あえて汚れを見せる 思索メモ #19

「人に好かれたい」気持ちは誰しもある

「嫌われたい」と思って生きている人はそうそういない。「幸せになりたい」と思う人はいても「不幸になりたい」と思う人がいないのと同じだと思う。

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孤独に陥らないように、誰にも嫌われないようにきれいな自分を見せていきたい。きれいな自分で在りたい。

そう考えて、人に好かれるように振る舞う。笑顔で接するとか、否定しないとか、良かったことしか報告しないとか。もちろんどれも大事だ。

だけど、そればかりで人は自分を好いてくれるだろうか。答えはノーだと思う。人に好かれたいと思ってしているはずなのに。

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当たり障りのない人、自分をきれいに見せようとしすぎる人は、好かれるか嫌われるかで、どちらかといえば好かれるかもしれない。だけど、一歩も二歩も深い関係になれるかと言えばなれない。なぜか。

人によって理由として感じることはいろいろあるだろうが、僕は「人間味がない」「おもしろくない」からだと思う。

周りの人間は、その人をどこも傷つけてはいけない気がし、会話するにも言葉を選ばせ、過度な心労をさせて結局は敬遠される。当たり障りのないコミュニケーションばかりになり、本音で話せないことで、人が寄らないだけでなく内面的にも磨かれない。人が接してこないのだから磨きようがない。

そんな人は、他人に自分をキレイに見てもらおうとしすぎているのだ。

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むしろ多少の棘があって、ハッキリとした意志が垣間見える人には人間味が感じられる。相手から見ても感情の上下が見えておもしろい。

有名人に限らず、身の回りで自分の個性を発揮してコミュニケーションを円滑に回している多くの人を見ても、棘のない、当たり障りない発言しかしない人なんて誰一人見つからない。みんな素敵な性格やスキルだけじゃなく、どこかしらに汚れた生身の人間らしい側面を持っている。

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実はこれは、どこか他人のことを言っているようで、始めから終わりまで僕自身の話をしている。

汚い部分を嫌わなくていい。そう思った。

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悪口は良くはないけど、時には出ることだってあるだろう。怒りをぶつけたくなることもあるし、泣きわめくこともムカつくこともある。不平も不満もたらたら。いいじゃないか。「そんな醜い気持ちはまったくない」なんていうほうがよっぽど気持ちが悪い。

キレイな自分を見せようとしすぎなくていい。むしろ汚い側面を見せるから、美しい部分がより美しく見える。

自分でも見えないように隠していた部分をちょっとだけ出してみる。汚い部分を受け入れて表現した自分のほうが、他人も受け入れてくれる。


人として自分を受け入れて、表層に棘を出して、人間らしく汚れも見せていこうと、最近そう思ったのでした。



ライター 金藤 良秀(かねふじ よしひで)


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取材、執筆、編集をしています。NewsPicks編集部で記者サポート。新R25でイベントレポートやリノベ局でのライティング。ときに書籍制作も。経済、建築、素材、空間、哲学の好きな甘党。箕輪編集室。インタビューや執筆・編集のお仕事はTwitter DMにて受けております。
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