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思索メモ #01

最近いつの間にかできなくなっていたことを一つひとつ実行していく。

第1は多読。もっと多くの記事や本を読まなければ。自分の書き方なんてまだまだ確立できていないのだから。要は「世の中にはこんな書き方があるのか」と幅を広げて知ることが必要。

第2は多書。「多書」は造語。多くの人は思い浮かんだことを書くかもしれない。つまり思考⇒執筆の順。僕は何も思うことがなくても、ノートを広げてペンを持って書き始める。すると思考が生まれて深まり、広がっていく。書くことで思考を生むスタンスが合っている。逆にそうでもしないと思考が深まらない。ついには失われてしまう(忘れる)こともある。だからいつも、まず書かざるを得ない。

普段景色を見ても散歩をしても映画を見ても得られないものが、書いていれば得られる。書くことで思考は深化する。だから多書きのススメを自らに提唱する。

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最近よく読む記事はビジネス系の内容が多くなっているけれど、会社員時代はエッセイも多く読んだ。(当たり前だが)ジャンルによって書き方はかなり変わる。人のテイストでの違いもあるけれど、そもそも文体や表現や言い回しの自由度も違えば、まとめ方にも大きな差がある。

だからまずライティングの幅の広さを知ることが重要。狭すぎた世界観が広がる。ある意味、今まで認められなかった自分も認められるようになる。今まで本当に狭い世界に閉じすぎていた。井の中の蛙にならず、もっと世界は広いことを知ろう。

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今ぼくの関わっている人たちは、かなり若い世代の人たちが圧倒的に多い。10代だってざらにいる。このあいだは中学生に文章の書き方を話してきた。今後、それも次第に変わっていくのだろうとは思うけど、何か寂しさがこぼれる。何に憂いているのかはわからないけど。

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ともあれ、文章はもっと自由でいい。僕はかなり “気にしい” なので、人の意見を勝手に想像してバックスペースを連打することがよくある。でも、少なくとも僕は他人の思いも、好きなことも、どんな記事を見ているのかも知らない。わからないことを想像して、憂えて、不安や迷いに打ちのめされるのはあまり意味がない。もっと自由でいい。noteも書き続けよう。



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