思索メモ #07 不慣れで違和感のあることに意味がある
言葉の自由な人は自由に空を飛ぶように、意のままに言葉を使うことができてしまう。
それはたくさんの言葉を「知っている」から?
それ以上に、知った言葉を “不慣れながらも” 使ってきたから。
「知った言葉を使いたい」
それは自然な気持ちの発露だと思う。それを “不慣れながらも” 使うから、だんだんと使えるようになっていく。
慣れないうちは違和感を覚える。でもその「違和感」を大事にしたほうがいい。むしろ積極的に違和感を取りにいったほうがいい。
* * *
たとえば演劇でもそう。名俳優・名女優と呼ばれる役者は皆、あらゆる人間の表情やしぐさを演じなければならないのに、その演じ方をよく知っている。
それは、それまでの役者人生で普段の自分なら絶対にしないような、しぐさや振る舞い、言動、表情に至るまでを、不慣れながらも、演じたり考えたりした経験があるからこそできる芸当だ。
その役どころを自分なりに使ってきたから。
* * *
書くことも同様。たくさんの “違和” を覚えた人は、誰より厚い言葉の層をつくる。
普段使っているような単語、言い回し、表現、語調だけでは知りえない言葉の微細な感覚を、人が変わったかのように演じていかないと、知り得ないし決して広がらない幅がある。
ライター 金藤良秀(かねふじ よしひで)
いただいたサポートは活動費として大切に使わせていただきます。