昔住んでいた町で起きた殺人事件

 憂鬱な月曜日、蹴っ飛ばすことも出来ないまま布団からのそのそと起き出し、湯を沸かしてコーヒーを淹れる。電動コーヒーミルから上がる音がまるで豆たちの悲鳴の様にも聞こえる。
 
 神経症的なルーティンに則って朝のタスクを機能的に片付けていく。トーストを焼く、ゴミをまとめる、それらを済ませながら朝食の準備を済ませて小さなテーブルで朝の情報番組を見ながら朝食を摂る。
 仕事の予定を思い返しながら味気ないジャムトーストを食べていると、聞き覚えのある町の名前が私の耳に飛び込んできた。

 そこは10年以上前に私が暮らしていた町だった。町のほとんどは田んぼと畑、林に申し訳程度の古びた住宅。町の真ん中を一級河川が横切り、休日には人々は娯楽を求めて隣町へ出るかパチンコ屋に入り浸る。町全体がセピア色がかったような、そんなエフェクトを掛けたみたいに感じられる。
 自然と歴史を推している町だが川沿いの草むらには不法投棄された家電が転がり、町民は町の歴史を殆ど知らない。町から町へ車を走らせる中で気づいたら通り過ぎているような、町かどうかも怪しい様なところだ。
 
 少し前に久しぶりにその町に行くことがあり、車を走らせていると私が住んでいた頃から町は随分と変わっていた。娯楽施設が立ち並び、人々が溢れ、という劇的な変化ではなかったが竹林は切り開かれコピー&ペーストした様な住宅が立ち並ぶ新興住宅地が産まれていた。
 その幼稚園児が描いたような碁盤の目を彷彿とさせる住宅地は妙に入り組みうっかり迷い込むとなかなか出られない。
 ドラッグストアが乱立し、公園からは遊具が消えていた。様々なものが無くなり、そして新たに産まれていた。それでもうんざりするほどに続く田んぼは何も変わらなかった。
 
 ニュースではその町のとある民家で50代男性が亡くなっていたという報道がされていた。男性は私有地内の沼地で服を着た状態で仰向けになって倒れており、上にはマットレスやゴミが乗せられていた。
 民家の部屋の中には「探さないでください」「旅に出ます」「必ず戻ります」という旨のプリントアウトされたメモが残されていた。犯人がそれをパソコンに打ち込み印刷したとおもうと何だが滑稽だ。なぜこれでいいと思ったのか。筆跡鑑定にかけられるリスクを考えた上での事だろうと容易に推測できるが根本的なところにズレを感じる。
 亡くなっていた男性の首には締められたような後が残っており、死因は窒息死。何者かが男性を殺害した後に事件の発覚を遅らそうと工作した可能性が高い。
 また、男性の遺体は死後1ヶ月以上経っていた。
 
 この事件は隣県の浜辺近くの駐車場で、38歳住所職業不詳の男が警察官に職務質問をされた事で発覚した。その男は元交際相手の30代女性を車内に監禁しており、それにより逮捕された。
 逮捕現場は港町にある海辺のそこそこ大きな公園の駐車場で、釣り人や公園を散歩する人間でそれなりに人入りがありそうなところである。駐車場に停まる他県ナンバーの車を不審に思い警察官が職務質問をした所、女性がSOSと書かれたメモを差し出したことで逮捕に至った。
 逮捕当時14〜15人の警察官が男の乗る銀色の軽自動車を囲んでいる姿が目撃されていた。女性という人質になりうる存在が居ることもあり大人数で対応したのだろうか。それともまた別の事件などでアタリをつけていたのか。捜査上支障があるということで細かい情報が報道されていない。
 男が逮捕された際、他人のものの運転免許証を所持しており、所有者を確認したところ「マットレスにくるんで捨てた」という趣旨の供述があったことから翌朝、免許証の住所の男性の安否確認に訪れた警察官により遺体が発見された。
 余談だが監禁されていた女性には怪我はなかったという。

 男は周囲に「人を殺した」とも漏らしていた様で一部の情報では監禁していた女性にもその旨を話していたとも語られていた。それは自慢話か、懺悔か。あるいは脅しだったのか。監禁という罪状は結構広い。人を殺したという事を話し、相手が抵抗できない状況に陥った状態で車に乗っているだけでそれは十分に監禁罪が適応できるものにもなる。
 県警が調べていた押収された車はシルバーのごく普通の軽自動車であった。車種の特性や元交際相手という背景を鑑みるとやはり心理的な要因で監禁されていたという気がするが詳しくは明かされていない。
 被害男性の親族は事件発覚までの間に男性の家を二度ほど訪れていたが郵便物がたまっており車もなかったという。電話もしたが繋がらなかった為「遊びに行っているのか」と思っていたと語っていた。
 親族や周囲に暮らす人間は男性について「人に恨まれるタイプではない」「穏やかな人だった」と語っていた。少なくとも私のような人間性の持ち主ではなかったようだ。こういった場面で面白おかしく誇張して話す人間が出てきそうなものだがそういう発言は見つからなかった。もし私が被害男性の立場であったらあることないこと語られそうだ。もしくは何も語られまい。

 それにしても一ヶ月姿を消していて誰も失踪届など出さなかったのだろうか、職場など仕事関係の連絡などもなかったのだろうか、そんな思いが過る。しかし案外そんなものなのかもしれない。
 
 事件現場になった民家は青い屋根の切妻造の平屋で、横には深緑の屋根の同様の作りの離れが建っている。建屋の背面は鬱蒼とした木々が茂っており、そのまま林が続いている。航空写真で見ると木々が建屋を飲み込もうとしているようにも見える。報道ヘリの映像では庭はほとんど手入れされていない様子が見て取れ、ところどころにゴミが散らばっており夏の夕暮れが似合いそうな廃墟のような趣すら感じられた。
 建屋の背面に広がる林を越えると新興住宅地が広がっている。唯一家につながる道は令和の日本とは思えないほどに頼りなく、細く舗装もされていない一本道だった。私の小さな軽自動車でもすれ違うのは不可能だろう。そもそもすれ違うことがあるとも思えない。それくらいに周りにはなにもない。
 周囲には、畑とかつて畑であったと思われる空き地がちらほらあるくらいで、それを越えると今となっては新興住宅と呼ぶのも憚れるような住宅街が現れる。
 新たに開発された新興住宅と、かつて新興住宅として人々を受け入れた家々に囲まれた手つかずの林、そしてそこにぽつんと建つ事件現場となった時代に取り残された民家。なんだか詩的だ。

 男の犯行動機は盗みに入った際に被害男性と鉢合わせした為殺害した、という内容の記事がいくつか上がっていたが少しするとそれらは軒並み削除されていた。
 それらは誤報だったのか、あるいは報道規制か。
 もし後者であって、男が金品を奪っていたとするならば男は強盗殺人の罪に問われる可能性がある。強盗殺人の量刑は無期懲役〜死刑だ。その上男には監禁といったまた別の罪がのしかかる。よしんば強盗殺人とならなかったとしても男性を殺害した後自首することもなく逃走を図っており、至極身勝手な犯行であることからやはり比較的重い刑罰に処される可能性が高い様に思える。
 近隣に民家がないところにひっそりと建つ家となれば窃盗の標的にされやすいだろう。しかしそれでもなんだか、素人目にみても”リターン”があまりにも低すぎる様に思える。その民家は遠目に見て金品が溢れているような印象はどうしても抱けない。たしかにリスクも少ないかもしれないが無いわけではない。実際、男は住人と鉢合わせするという”ロー”であるはずのリスクに鉢あっている。その結果がこの始末だ。
 
 家を訪れた親族の話では被害男性の家からは車がなくなっていたという話だった。逮捕された際に男が乗っていた件のシルバーの軽自動車の所有者は被害男性のものである。殺害後にそのまま車に乗って逃走したということだろう。
 殺害現場は公共交通機関から酷く離れている。そこまで男が歩いて向かったと思うとなんだがどこか物悲しい。道中何を考えながら歩いたのだろう。思い直す時間は十分すぎるくらいにあったはずだ。

 生活がままならなくなり、それを打開するために彼なりに計画を立ててのことだろう。しかし読みが外れ、首を締めて男性を殺害した。他に目立った外傷がなかったことから「もうやるしかない」と思い切ったのだろう。年齢の差はあれどもみ合って傷だらけになっていない所、やってやるという強い意志がなければこうはなるまい。
 それから金品を奪い、車を奪い、颯爽と元交際相手の元へと走る。着の身着のまま、さながら夜逃げだ。
 女性を半ば無理やり車に乗せ、「この金でやり直すんだ」なんてことを夢中で語り一人で盛り上がり現代のボニー&クライド気取りだったのかもしれない。夢の中と書いて夢中とは皮肉が効いている。
 しかし奪った車で逃走するところまではボニー&クライドと同じだがV8フォードなんて上等なものではなく型落ちの軽自動車というのがなんだが侘しい。
 そんな逃避行をしたものの、女性は本家どころか「ナチュラル・ボーン・キラーズ」も見るタイプではなかったのか、ただのリアリストだったのか、あるいは軽自動車に乗る男が嫌いなタイプだったのか。なびく様子はなく、それどころかネガティブな感情を抱いていた様だ。まぁでも別れた時点で相性は良くはなかったのだろうし、その上でこの有様なら逃げたくもなる。
 それに対し、彼女の気をどうにか引こうと出た言葉が「人を殺した」というものだったのかもしれない。その行動までも痛々しい。そう思うとボニー&クライドというよりは「バッファロー’66」のほうが近いかもしれない。
 しかしヴィンセント・ギャロの様な圧倒的な顔面の力がなければ映画のような展開にはなるまい。それだけの容姿をもっていても怪しい。
 そして彼にはギャロ演じるビリーの様な優しさや、それに至る背景も無さそうだ。
 それになにより、所謂”ワル”な相手に惹かれるというのは中学生、いっても20代前半くらいまでのものだろう。普通の神経をもっていれば「人を殺した」なんて語る(それも法的に裁かれていない)人間の近くにはあまり居たくないものだ。どこにも救いがない。
 微かな希望というか、病的な願望を叶えたいという欲求を薄汚いロマンスというパッケージに包んで暴走する人間は割といる。彼もその類の人種だったのだろうか。
 
 そうして始まった逃避行。遺体発見現場から男が逮捕された町まで約160㎞。お遍路の約9分の1の距離とは言え決して近くはない。お遍路がイカれているだけだ。
 気を引くために突拍子もない事を口走ったり、言うべきではない言葉が口を吐いたり、そういう相手の気を引こうとする行為が裏目裏目で表にならず、彼女の反応が想像していたものからどんどんと離れていく理想とのギャップに焦りながら車を走らせたのかもしれない。
 男が男性を殺害して一ヶ月、どのタイミングでこの逃避行が始まったのか。しかし事件現場周辺で被害男性の車を乗り回すのはあまりにもリスクが高すぎる。事件後、すぐにこの逃避行に出ていたのではないだろうか。
 勢いで始まり、盛り上がりもなく続くドライブはなんだか人生そのものを表しているようにも思える。女性もまさかこんなことになるとは思いもしなかっただろう。いつ終わるともしれない地獄のドライブ。男の望む結末か、あるいは国家権力の介入でしか終わる見込みのない絶望。
 そして二人は海辺の公園の駐車場にたどり着いた。この後もまだ旅を続ける予定だったのだろう。最終目的地は存在するのだろうか。そしてそれはどこだったのだろう。
 それにしても、偶然とは言え終着点にしては出来すぎている。狙ってそこで捕まったのではないかとすら思えるほどだ。
 海辺の公園の駐車場、語感もいい。
 
 一連の逃避行の下りは全部私の想像というか、もはや妄想の域だ。しかしそれに負けない人生ドラマをこの登場人物全員が持っている。
 ニュースになって真実が明かされたとしても、それをモニター越しだったり、人づてに聞いて知ったところで、それはこの私の妄想活劇とさほど変わらない。そのドラマは当事者の中にしか存在せず、外部から見えるそれは見ている人間側の物語だ。そこには間違いなく一線が引かれており絶対にその向こうに行くことは出来ない。あくまでも見る側は見る側の物語の中でそれを咀嚼しているだけだ。
 
 今回、登場人物の一人は様々な出来事、事件を乗り越えた末に最後にはマットレスの下で眠ることになった。死後一ヶ月ともなれば溶けてしまっていたのではないだろうか。報道ヘリの映像に写っていたマットレスのシミは彼か、沼地の泥か。
 残る二人の物語は続いているがその内一人はもう塀の向こうだ。とはいえそれでもエンドロールにはまだ早い。バッファロー’66のビリーの様に天使に恵まれなかったとしても人生は続く。

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