裁判傍聴 傷害 場末のヤンキーポエマー
ある昼下がり、台風の影響で雨風がひどく次の裁判まで時間が少しあったものの、外にタバコを吸いに行ったり時間つぶしに喫茶店でコーヒーを飲んだりする気分になれなかった私は法廷前のベンチに腰掛けて本を読んでいた。
その日、読んでいたのはスティーブン・キングの短編だ。サブタイトルを「夏の雷鳴」とするその短編はこの天気にぴったりなタイトルに思えた。しかし、昼食にとんこつラーメンを食べ、その挙げ句に替え玉を3回した私の脳は血糖値の急激な上昇のせいで読書に必要な最低限の集中力を失っていた。
目が滑って仕方がないので眠気覚ましにミントガムを噛みながらなんとなくセットリストに記された被告人の名前をスマートフォンで検索してみた。
被告人の名前は名字も名前もそう見るものではなく、なんなら人生で初めて見る名字と名前だった。
初めて見る珍しい苗字と名前の組み合わせではあったが「流石に本名では出てこないだろうな」と思いつつも、ダメ元で検索してみるとあっさりSNSのアカウントが出てきた。本名・フルネームに顔が写った写真をプロフィールに(旧ツイッター)現Xをやっているデジタルネイティブとはなんだか新鮮だ。
写真に映る男はスウェットのセットアップに黒の半ヘルを纏い”ヤンキー”座りで顔の前に拳を掲げている。挙げ句、居住区と自身の年齢(当時14歳)まで公開し、「○○中一家卍👆夜露死苦」という青臭く酸っぱい一言まで添えられている。
そのアカウントのポストの最初の方には「これからおもしろいツイートをしていきます」という一言まで添えてあった。こういったツイートをする人間はおおよそ面白いツイートなど出来なさそうなものだが、彼はその後たしかに”面白い”ツイートを吐き出していた。
どうやらこのアカウントは2017年ごろまで使用されており、新しいアカウントを作成するにあたり捨て置かれたもののようだ。新しいアカウントも発見したがこちらは既に鍵垢となっており、内容を観ることは叶わなかった。
そして14歳という繊細な年代に使われていたそれはポエムの宝庫であった。
タバコ吸ってたらヤンキー
学校いかなかったらヤンキー
髪染めてたらヤンキー
化粧してたらヤンキー
見た目で決めるやつわなんなの?
フラワーカンパニーズが歌う「若さはいつも素っ裸 見苦しいほど一人ぼっち」という歌詞が突き刺さる。まさに素っ裸だ。そして「やつわ」という所も良い。中々に芸術点が高い。
この場合におけるヤンキーとは日本国内において不良行為を行う少年少女の俗称である。優良行為とはお世辞にも言えない喫煙や学業の放棄は間違いなくヤンキー行為だ。その上「決めるやつわ」という表現からもお脳にも不具合箇所が見られる。ヤンキーという意味合いでの不良と不具合箇所という意味での不良を掛けているのだろう。大変素晴らしいポエムだ。
他にもこんな物もあった。
弱いものいじめをするだせえ真似したくねえ
無理って分かってても立ち向かえる男になりたい
そんぐらい気合入ってないと女一人守れん
どうやら彼は女性を守る対象だと思っているようだ。これは男女差別にほかならない。そして何に立ち向かうつもりなのか。若さという勢いに任せてアイデンティティがエンジンブローする勢いである。
当時の彼のポストからはバッドボーイズ佐田という人物にあこがれているという事と、さほど周りからリアクション(リプライやいいね等)を得る事が出来ていないという事が分かった。どうやら彼は学校に1人は居る大きなコミュニティに属して居ないタイプの日陰に巣食う、はぐれなりきりヤンキータイプだった様だ。
なんだか懐かしさすら感じられる思春期ツイートの数々に思わず顔が歪み、むずかゆい気持ちに襲われる。そうこうしていると法廷のドアが解錠する音が聞こえてきた。
いそいそと入廷し、傍聴席に座ると少しばかりゾワゾワする気持ちが落ち着いてきた。しかしその落ち着きと反比例して裁判に対しての期待感が高まる。
「本当に彼が来るのか?」
ほとんど確信に近かったがその可能性は100%ではない。しかしその不安は杞憂に終わった。
なぜなら傍聴席側から弁護士に連れられて入ってきた男は先程私が見た少年と”ほとんど変わらない”顔をしていたからだ。
そんな彼の後から一人の女性が入ってきた。関係者らしいが関係性がいまいち掴めない。親にしては若すぎる気がするし、同年代にも見えない。
腕時計に目を落とすと定刻まで後2分。テンションがあがり、それにより昼食の反動も落ち着いてはいたが本を読むには短すぎるし、何より物語に入り込める様な精神状態ではない。秒針が足を引きずりながら回るのを神経症的に眺め、定刻を十数秒過ぎた頃に廊下から裁判官が廊下をける音が聞こえ始めた。
ついに開廷である。
被告人席に座る男性はおそらく元は金髪のソフトモヒカンであったらしく、今では頭髪が妙に伸び散らかりトップだけが不自然な金髪になっていた。それは浅黒い黒糖まんじゅうの様な顔の上に栗きんとんが乗っている様で滑稽だった。
紺のスラックスにライトブラウンのUチップ、シャツはブルー・ストライプのボタンダウン・シャツ。無課金で持っているアイテムをかき集めてフォーマルっぽくしようとしたかの様なコーディネートだ。シャツのボタンを一番上まで止めているのは彼なりの誠意のつもりかもしれないが、ネクタイがないせいか、締りがなくどこか間が抜けていた。
彼に突きつけられた罪状は傷害である。
被告人の男性は現在22歳で、高校を中退後現在に至るまで建築作業員として働いており、実家で両親と姉・弟と5人で暮らしている。
事件当日、彼は職場の先輩1名、同僚、後輩3名の6人で飲みに出かけていた。
その店は彼の住む町から電車で一本の、比較的栄えた町の駅裏にあるビルの4階にある「スタイリッシュ&ダーツバー(店の看板にそう書いてある)」だ。店について調べてみると「浴衣イベントです❤可愛い女の子が浴衣着て待ってるのでみんなで楽しく飲みましょう🏮👘」といった投稿をSNSにしており、その投稿からはスタイリッシュさは感じられなかった。それに”ダーツ”バーというのも、何かのメタファーではないかとすら思えた。
そしてその店はこの夏の内に潰れた。
そのビルには他にもテナントが入っており、1階には大手チェーンの居酒屋が入っていた。そのチェーン居酒屋では、時同じくして不運なこの事件の被害者が同僚達と食事をしていた。その日その男性は酒を飲んでおらず、午後10時頃になると数人で連れ立って店の外にある喫煙所でタバコを吸いに出た。
彼らがタバコを吸っていると、ビチャビチャビチャ!という音が歩道から聞こえてきた。音の方へ目を向けると路上に吐瀉物が散っており、上階から人の声が聞こえた。彼の同僚が様子を見るために歩道へ出て上を見ると階段のおどり場で何名かの若者が騒いでいるのが見えたという。
その行動がトリガーとなった。
踊り場から「おい!何見てんだ!」と若者の一人が叫ぶ。
少しして上から被告人と後輩3名がおりてきた。被告人の後輩の内一人が「おまえ!俺が吐いてるのみて笑っただろ!」「裏こいや!」と喫煙所に居た被害者とその同僚に因縁をつけ始める。「笑ってない」「裏にはいきません」と挑発に乗らない彼ら等に対してさらに逆上し、被告人の男は「もうこいつでいいや」と言うや否や、被害者の男性にヘッドロックをキメると喫煙所から歩道へと引きずり出した。
それから被告人の男性はヘッドロックを解くと間髪入れずに左の拳を被害男性の顔面に叩きつける。殴られた男性の瞼の上は切れて出血し、掛けていた眼鏡が鼻の付け根にめり込むと、彼はもんどりうって倒れた。騒ぎを聞きつけた店内で飲んでいた被害者の同僚などが集まり始めると、被告人の男は後輩に一言謝罪の言葉を残し、事件現場を後にして別のバーへと向かった。
バーについた被告人は他の友人達に「後輩をバカにされて先輩として黙ってられなかった」「あそこで見捨てたら先輩として終わりだと思った」といったメッセージを送り、店では店員に「捕まるかも」という言葉を残していたという。
どこまでもおめでたいお脳をしている様だ。終始、独り相撲であったとしても彼のフィルターを通すとどこまでもドラマチックなヤンキー漫画的展開に変わるらしい。ここまで濃い色眼鏡を掛けて世界を見れば退屈などしないのだろう。その眼鏡を通せば私もジョニー・デップやブラッド・ピットくらいになれるかもしれない。どこに行けばその色眼鏡が手に入るのか教えてほしいものである。
110番通報を受け、事件現場に到着した警察官は現場に残っていた被告人の先輩に「彼を呼び戻す様に」という指示を出し、その先輩からの言葉に従い戻ってきた被告人はそのまま逮捕されるに至った。
その後、被告人は損害賠償として50万円で示談の申し入れをしたが、被害男性は「厳罰を希望する」ということでそれを拒否。現在、治療費や眼鏡等の費用を自己負担しているという。
示談を受けてしまうとそれにより刑罰が軽くなったりという事が起きてしまう。それにより彼の受ける刑罰が軽くなるというのは許せないということだ。その場に居合わせただけで、言ってしまえば同僚が受けていた因縁の矛先が変わったという理不尽な状況で受けたこの暴行を思うとその気持はよく分かる。
裁判を通して被告人の男は天井あたりを眺めたり、イライラするような素振りを見せていた。最前列から強く念を送ってみると、一瞬は目が合ったもののすぐに逸らされてしまった。私のこの行為も彼からしたら馬鹿にされたと感じて何かを守るために立ち向かって来たりするのかもしれない。とても怖い。
裁判中、証人尋問では彼の母が呼ばれた。
彼と連れ立って入ってきた女性は母親だった様だ。髪の毛は明るく根本には地毛の黒が見えていたがそれでも妙に似合っていた。そういうタイプの人だ。最初は親子に見えなかったが親子だと言われ、しっかりと被告人と見比べてみるとなんだか納得してしまう。
彼女は弁護士や検察からの質問に対して凄まじく食い気味に答えていた。質問の最後の一語と彼女の一言目が重なる程の勢いはまるで早押しクイズの様だ。しかし、裁判においては質問は早く答えることで高ポイントが貰えるなんてことはまずない。なんならマイナス効果すらありそうだ。
その応酬の中で「被告人から今まで暴力的なところは感じられましたか?」という質問に対し「いいえ、ありませんでした」と答えていた。
しかし私が見つけた彼の昔のポストでは「ゲーム負けると鼻息荒くなって泣きそうになるって。俺どんだけ本気なの笑 スマホ殴っちゃうし」というものがあった。スマホを殴るのは暴力的ではないのか、あるいは彼女はそこまで息子を見ていなかったのか、あるいは庇うためかもしれない。母の優しさと無関心や都合の良さの境界線はどこまでも曖昧だ。
なんにせよ、無いのは暴力性以前に人間性と倫理観だろう。
それから演者は代わり、証言台に被告人が立った。
その中で、被告人は「お酒を飲みすぎていたせいで殴ったことは覚えていない」としきりに訴えていた。友人に送ったメッセージに関しても「履歴があるから自分が送ったもの。でも送った覚えはない」と供述していた。
また、検察より「根本的な原因は何だと思いますか?」と聞かれると「お酒を飲みすぎたことです。これからは飲む量を減らします」というどこか見当違いの回答をしていた。百歩譲ってお酒が原因だということにしてもこの期に及んで「まだ飲む気」でいることに驚きだ。
お酒が原因というのであればもう飲むな。原因を断て。そしてそもそも根本的な原因はそこではないだろう。まずはカウンセリングを受けて根本的な問題を探してその解決を試みるべきである。
また、弁護士から「どれくらいの量があなたの適量のお酒の量ですか?」と聞かれて「缶ビール2〜3本です」と答えて居たにも関わらず、後に検察から投げられた「減らすとは具体的にどれくらいまで減らしますか?」という質問に「缶ビール5本位」と答えていた。もう適量を超えている。あるいは算数が出来ないのだろうか。5という数字は3より大きいということを教える必要がありそうだ。
これには流石に検察も失笑を隠せていなかった。
そして当然、検察からはそのことについて突っ込まれる。だが、彼はそんなものには負けない。「適量は2〜3本だが5本までならべろべろにならないので・・・」平然と答える彼に恐怖すら感じる。
彼がかつてツイッターで語っていたポエムの「無理って分かってても立ち向かえる男になりたい」という一説がここに繋がってくる。この主張が「無理って分かっていても立ち向かっている」という事だろうか。
これが彼のルーツなのかもしれないが、立ち向かうことで他者に迷惑をかける可能性について考えることが出来る男になってほしいものだ。それこそが本当に「無理って分かってても立ち向かえる」ということだろう。
とりあえずもうお前は飲むな。そして病院に行くべきだ。お酒を飲んだ事が原因で(と供述しておいて)、事件を起こしておきながらなぜ適量を超えてギリギリを狙うのか。
彼の供述中、ちらっと彼の母親へと目を向けるとほほえみを浮かべながら頷いていた。一体全体お前は何を聞いていて、どういう感情でその反応をしているのだ。PL法を知っているのか。
もう法廷は地獄絵図である。
検察から彼はは「お酒は辞めるつもりはないということですか?」と厳しい追撃されるも「付き合いがあるので」と、やはり量を減らすという方針以外とるつもりはないらしい。どこまでもおめでたい野郎である。ただこの男に対して厳罰を与えたとて更生されるかどうかが疑問だ。ここまでくるといよいよ更生が可能かすら怪しく感じる。
検察からは「今後、母親が監督し更生するということだが現時点で同居していながら今回の事件に繋がっていることもあり監督としては不十分」ということで懲役1年6ヶ月の求刑がなされた。
それに対し弁護側は執行猶予を求める。よくあるムーブだ。次回判決。
彼の若かれし頃のネットリテラシーの低さ、そして本件裁判における発言や事件の低俗かつ悪質さと酒癖の悪さ。それらは彼の暮らす環境と、そもそも生まれ持った特性が起因している様に思える。
必要なのはカウンセリングなどによる問題の理解と周囲のサポートだ。
ただ、彼らが問題を認知していように周囲も大体に於いて同じ思考回路をしている事が多く、寄り添ったまま同じ道を歩む事になることがままある。
私は偶然、彼のような反社会的な行為を良しとする文化圏に生まれなかったが故になんとかこうして暴力事件を起こすことなく今日を迎える事が出来ている訳だが、これは”当人たちとしては当たり前だがコミュニティの外の目には異常としてうつりかねない”という示唆に富んでいる。
この事件の被告人も、彼が属するコミュニティの中では「普通の人間」として生きているのだ。異常性というのはあくまでも客観的な価値観であり、当の本人からは観測することは難しい。
この事件を受けて「いかれてんな」という感想を抱いた私もきっと一部の人間からは異常者にうつるだろうし、町ですれ違った人たちもそういった側面を持っているのだろう。
そして、誰しもがこの事件の被害者のように突然厄災に見舞われるかもしれないし、逆にそこに暴力がなかったとしても加害者側の立場になるかもしれない。
他人事と言って笑いきれないところがある。
裁判から少しして偶然事件現場を訪れる機会があった。
現場は駅に近い飲み屋が密集した場所にあったが、1階にある大手チェーンの居酒屋は繁盛していたがその上にあるテナントは明かりは点いてるものの、人が多く出入りしている印象はなく、被告人が飲んでいた店の跡地は未だに空き店舗となっていた。上階を含めたテナントは歯抜けとなっており空室が目立っていた。
妙に小綺麗な駅の真横に立つそのビルからは栄枯盛衰すら感じられないギラついたオーナーの先走りすぎた幻想を具現化したような物悲しさを感じた。
そのビルの道路を挟んだ対面にある飲み屋は人に溢れ、歩道にはキャッチの女性が数名立っており結構繁盛している印象を受けた。道を一つ挟むだけでこんなにも違うものか、となんだか不思議な気持ちになった。
こういう現象はなんだか人個人というものにもよく現れる気がする。同じよな境遇で同じようなコミュニティに属していたとしても地の底まで落ちていくような人もいれば絵に書いたような幸福そう(に映る)な人生を歩む者がいる。
それらを隔てる境界線は明確に存在してるが、そのボーダーラインはどこかぼんやりとしており可視化する事はできない。
それらはちょっとした巡り合わせや偶然の産物なのだろう。それはファクトが複雑に絡み合い、なるようにしかならないという示唆を含んでいる。
気の持ちようではあるのだろうが、結局のところそれらに対して我々が出来ることは限られている。
人生というものはネットにぶつかり、どちらへ落ちるかわからないテニスボールの様なものなのだろう。いつ何時自分というボールが”あちら側”へ転ぶかわからない。人はどこまでも無力だ。そのなかで自分というものを正当化することができるかなのだろう。
その正当化の手法を間違えた瞬間、我々もこの事件の被告人の様になってしまうのだろうと思う。赤の他人だが他人事ではない気がしてならない。
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