見出し画像

天気予報がなくなった日

こんにちは。気象予報士の木下和花です。
2024年は8月7日に立秋を迎えましたが、まだまだ暑いですね。
そして毎年この時期になると、戦争と平和について考えさせられます。

戦時中、天気予報がなくなった

1941年。真珠湾攻撃以降、天気予報は発表されなくなりました。
天気予報が復活したのは終戦後、1945年。
なぜ天気予報が発表されなくなったのでしょうか?

気象の情報は軍事機密だったからです。
雨が降ると、地面がぬかるんで兵隊が進みにくくなったり、火薬が湿ってしまいます。ガス兵器の散布には風の条件も関係します。嵐の予測ができると、侵攻の日程をずらすことができます。

このように、気象条件は戦況に大きな影響を及ぼすのです。
そのため、相手国に気象条件を知られないようにするために、気象の情報は機密情報となりました。

4年近くの間、天気予報のない生活は、どんな生活でしょうか。

気象情報が統制されていた1942年、周防灘(すおうなだ)台風によって暴風雨や高潮に襲われ、山口県で死者・行方不明者が800人近くの大きな被害が発生しました。多くの住民が台風の接近を直前まで知ることができず、十分な対策をとることができなかったといわれています。

 参考:山口県ホームページ 山口県災害教訓事例集

終戦直後の1945年9月17日ごろに西日本を襲った枕崎台風。広島は原爆の被害もあって、気象情報の通報体制を十分整えることができず、大きな被害が生じました。死者・行方不明者あわせて2000人を超えました。

参考:気象庁 災害をもたらした気象事例 

天気予報のない生活
洗濯物を外干ししても良いのか、遠足の日の天気はどうか…ということがわからないだけでなく、災害の被害拡大につながってしまったのです。

寝ている間に雨や風が強まって、川の氾濫や高潮による浸水に巻き込まれた人もいたかもしれません。
大雨で、いつ止むのかわからない恐怖の中、過ごしていたかもしれません。
海が荒れることを知らず、漁に出た人もいるかもしれません。

「気づけば、手遅れになっていた。」


気象情報を知ることができず、現在の状況や、この先取るべき行動がわからない苦しみ。
災害が迫っていることがわかっていても、伝えることができない苦しみ。

現在、災害時に気象情報を伝えて、人の命を助けることができる可能性があることは、本当に有難いことだと感じます。
だからこそ、日々、そして災害時の気象情報を精一杯伝えていきたいと思います。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?