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そもそもなんで留学しようと思ったか 1

こんにちは!!

今日は、自分が留学するまでの経緯を書いてみようと思います!

長文になるので、いくつかに分けて投稿致します。

今回は小学校から中学校まで。

私は、小学校にほとんど行かない子供でした。

「行けない」ではなく「行かない」と書くのは、途中から学校に行く必要がわからなくなってしまったからです。

最初は、1年生の時の担任の先生とクラスメイトからのいじめが原因でした。

いじめと言っても、そんなにディープなものではなかった気がしますが.....今となってはあまり思い出せません。もともと、みんなと一緒に何かするのがあまり上手な子供ではなく、「行きたくなーい」とよく駄々を捏ねていました。

ある日、担任の先生が私に対して言ったことに家族が激怒し、それから本格的に登校しなくなりました。

それから何度か、2年生の時と4年生の時に学校に行ってみましたが、どうしても馴染めず。結局は6年間で学校へ通ったのは半年もないと思います。

ただ、不登校といっても、家に引きこもっているわけではなく、近所の裏山で泥んこになったり、川でびしょ濡れになったり、図書館に通ったり、両親の職場や出張にくっついて行ったり....とにかく外によく行っていました。

そんな感じで小学生時代が過ぎ、「中学校どうしようか?」となった時に、両親が見つけて来てくれたのが、「星槎中学」でした。

「ほし」に、「いかだ」と書いて「せいさ」と読みます。

障害や、普通の学校に馴染めない子供たちを受け入れてくれる学校です。

今振り返って思うのは、学校の約束というか、思いみたいなのが、創始者から現場の先生たちまでしっかりと伝わり、実行されていた、ということです。

学校の約束は、「人を認める」「人を排除しない」「仲間を作る」こと。

障害の有無に関係なく、その人の苦手な事、出来ないことがある。

でも、それを、他の人たちと違うからと排除するのではなくて、認め、受け入れる。そうやって色んな人たちとの繋がりを広げて、お互い成長し合う。

こんな思いが込められています。

私含め、でこぼこなクラスメイトと過ごした日々は、楽しいことばかりではなかったけど、自分が一番素直さを出せていたのかなと思っています。

星槎で過ごした3年間は、今も、一言では表せない、沢山のことを私に教えてくれ続けています。


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