ハル

徒然

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今までのこと

私は21歳の大学生で、母と父と姉の4人家族だ。母は約一年前からALSを発症し、今は着替えも風呂も食事も介護が必要な状態となっている。日に日に四肢が動かなくなり、呼吸がしづらくなり、ものを飲み込むことが難しくなっていく恐怖はどれほどのものだろうか。私の苦しみなんて母の比にもならないけれど、母の気持ちを考えるだけで胸が潰れて吐いてしまいそうになる。 気管支切開や胃ろうなどの延命処置を母は拒否しているため、ご飯が食べられなくなったら、呼吸ができなくなったら、そこで最期を迎える。発

    • 発症から現在に至るまで

      母にまつわること全て、忘れたくない。この闘病生活を知ってほしい。 その想いでここに母のALSの発症から現在に至るまでを書き記すことにした。 2019年 僕が一浪して念願の大学合格を果たした時から、母は発症した。最初は両腕、両肩から。筋肉が衰え、腕の可動域が狭まった。腕自体が重いと感じるようになった。この時は、家族全員、ALSなんて単語、頭にもなかった。 病院に行ったが、誤診をされ、この段階で受けることができたはずのALSの治験を受けられなくなった。 2020年春〜冬 筋肉

      • お別れの準備

        父から連絡が来た。 「母親が会話できるうちに帰ってこい。」 現在の母の状況は、1日に500キロカロリーも取れず、32kgまで体重が落ちている。呼吸においては、PaCO2(動脈血二酸化炭素分圧)が65mmHgとかなり高く、睡眠時のSPO2(動脈血酸素飽和度)は83%とかなり低い。つまり、呼吸機能がほとんど働いていないということだ。 呼吸機能が低下し、嚥下障害も顕著になり、会話をするのも困難な状態。主治医に緩和ケア(モルヒネやセデーション(鎮静して意識レベルを下げること)等)を

        • ねえ、お願いだから

          怒涛の三月。 院試に落ち、「もし本当に自分が学問をしたければ、就職をしてからでもどこの大学でも院に行けるはずだ」と思い、一旦院に進む道を諦めた。 もう今年25歳になるわたしは、いつまでも子供ではいられない。一人立ちをすることを決意した。 毎日毎日精神安定剤をODして、バイトに行き、死なないために働いている。 あれ、幸せってなんだっけ? 毎日過食嘔吐をしている。外に出ようとしてお風呂に入っていると突然吐いてしまい、自分で困惑したこともある。 正解ってなんだっけ? みん

        • 固定された記事

        今までのこと

          バイバイサンキュー

          春。 さよならとはじまり。 寂しさ、切なさ、愛おしさ、不安、なんとなく落ち着かない足元。 春から親の扶養を抜ける。いつまでも子供ではいられない。 かと言って、就職先が見つかっているわけでもなく、フリーターをしながら就職活動をする。 そう、いつまでも子供ではいられない。 春から、同じ市内ではあるが引越しをする。バイトを詰め込み、精神障害者年金を受けながら、1人立ちをする。 あなたの知らない場所で、あなたの知らない生活をしていく。 愛しい人。さようなら。遠くへ行っても、ど

          バイバイサンキュー

          愛について

          愛とは何だろうか。 今日もまた、答えのない問を考えてみる。 道ゆく人々を見て、みんな穏やかに微笑んでいれるといいな、とおもう。それは愛だろうか。 友達に、一人で泣いていて欲しくないと思う。これも愛だろうか。 パートナーに君にだけは煩いが少なくあって欲しいとおもう。これも愛だろうか。 家族に生きているだけでいいとおもう。これも、愛だろうか。 思うに、愛には種類がある。 ただ漠然と、生きとしいけるものに感じる愛。 近しい人々に対する、時には自己犠牲も厭わない愛。 あなたがいな

          愛について

          わたしがめちゃくちゃ吐いたって手首を切ったってなーんも変わらんしわたしの問題はわたしが解決するしかねーんだなあ

          わたしがめちゃくちゃ吐いたって手首を切ったってなーんも変わらんしわたしの問題はわたしが解決するしかねーんだなあ

          しにそー

          しにそー

          漠然とした恐怖は誰でも抱えているものだろうか

          漠然とした恐怖は誰でも抱えているものだろうか

          2/9

          いつからか、ストレスがそのまま体に出るようになった。 受けてもいない院試を親のために(もしかしたら自分のために)嘘をついて受けたことにした。 親を騙しているようで、嘘の落ちた報告をすることが辛くて、自分では大丈夫と思っていたが発熱してしまった。 幾つものやりたいことを諦めてきた人生。一番研究がしたかったのは私だ。それも諦めざるを得なかった。 それでも、人生はここからだと思いたい。信念さえあれば研究は続けられる。やりたいことはやれる。悲しみや絶望がこの先待っていることが分

          ハッピーエンド

          振り返ってみると、365日の7割は引き篭もっていた気がする。辛くて苦しくて痛くて、無力で生きている意味がわからなくて、泣いてばかりの日々。 院にも落ちて、この春から本格的に大学を離れるわけだけれど、先行きは不透明どころか真っ暗。本当ならとっくに院進か就職していたはずの今。人生なんて何が起きるかわからない。どんな努力も不条理で簡単にひっくり返される世界。 それでも、しあわせを創ることに早過ぎることも遅過ぎることも絶対にないから。いつだってここからだから。何回転んでも怪我して

          ハッピーエンド

          二日間携帯の電源を切ってビニール紐で首を絞めてみた、死ねない、それでいいたぶん

          二日間携帯の電源を切ってビニール紐で首を絞めてみた、死ねない、それでいいたぶん

          たった1日

          たった1日薬が切れただけで、一日中涙が止まらなくなって、過呼吸になって、世の中全部が憎く思えて、死にたくなって、今すぐ線路に飛び込みたくなって、そのくせ人が怖くて外に出れなくて、クソみたいな出来事ばかりフラッシュバックして人間を信じられなくなって、自分すら信じられなくなって、何が正しくて何が悪かわからなくて、私を傷つけた人間どもは今日も穏やかに1日を生きていて、こんな世界気持ちが悪くて気持ちが悪くて気持ちが悪くて反吐が出そう、早くグチャグチャにって死んでしまいてーなってこんな

          たった1日

          始まり

           また、今年が終わる。人間が勝手に決めた一年という区切り。何かを区切っては振り返り、ノスタルジーに浸りたいのが人間という生き物の性なのか。私もまた例に漏れず、一年という時間を振り返っている。  人間の嫌な部分をたくさん見た、愛しい君の中に悪魔を見た。自分の弱さを見た、綺麗事ばかり抜かす自分の中の醜さを知った。 それでも君のことも自分のことも愛さずにはいられなかった。  見たくはなかった、知りたくはなかった、そんなことで溢れた365日。出会いが多ければ、さよならも多かった、

          生きること

          3ヶ月ぶりに実家に帰る。 正直恐怖で足は竦む、膝は震えている、立つことさえままならない。それでも、進むしかない。進むしかないんだよ。 さらに弱り果てた母の姿をこの目で直視すること。もはやほとんど聞き取れない言葉を拾って介護をすること。 応えられない最期の願いを母本人に懇願されること、父親にプレッシャーをかけられ支配されること。 本当は叶えようとするだけで吐き気がするようになってしまったのに、その願いに応えようと努力するフリをすること。 絶対に自分の体と心の傷を見せてはいけな

          生きること

          徒然

          わたしがこの病気で無くしたものは幾つだろう。 数えきれないほどある気がする。たくさんのことを諦めてそれでも自分の精一杯をして、それでもたくさんのものを失って。 それが人生だろうか。「さよならだけが人生」だろうか。全部受け入れて生きていくしかないだろうか。 最近は陽が出ている時に外に出ることは無くなった。どんどん悪化していく状況。どんどん悪化していく自分の病気。それでも、わたしはわたしだから、自分の人生は自分で開くしかないから、死にそうな気持ちになりながらもどうにかやってい