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トラウマによって開いた防衛機構

■ 回避性愛着障害の防衛機構は、”一人になること”

昨日は、リリアン・ボージェス先生の心理セッションの解説で、

 愛着障害×催眠によるセッション

の解説がありました。

一般的に言われる愛着障害については、当然ですが、すでに知っている知識だった…のにも関わらず、自分に当てはまっていることが、腑落ちしていなかったことが分かりました。

■ 私のスカートのすそを踏んづけていたのは、”防衛ちゃん”

私のスカートのすそを踏んづけているような感覚…は、どうも、この防衛機構…危険を感じたら、一人でいることを選ぶ…名付けて”防衛ちゃん”、にあるようでした。

何か良いことが起きても、それをなぜか選びたくない!という自分がいて、驚いていました…。

例えば、日本ではトップクライマーしか誘われることがないBMCロックフェスに誘ってもらったりしても…です。

■ 回避性愛着障害の防衛機構…

色々な紹介が出ているので、回避性愛着障害を含め、愛着障害のことは、ここで述べなくても分かっている人がほとんどだと思いますが…簡単にまとめると…

・他者の期待(要求)に束縛されることを恐れる
・子供なのに自立し自律的でなければならず、自分で物事を解決しなければならなかった
・長時間一人でいる子供だった
・「私は、自分で自分を育てた」
・「実行者キャラ」
・優等生
・自慢の息子・娘キャラ
・恥に対して大変に敏感
・自己評価が他人軸

です。

こういう子供だった人は、今でも、何か問題を感じると、人から離れて自分一人でいようとする、かもしれません。自覚があれば、普通に自己調整と言うか、「今は一人にして」とみんなに言うことができ、周囲の人も「なんか知らんが、ストレスでひとりになりたいんだなぁ」と分かりやすいと思います。

私の場合は、クライミングの誘いを受けても、何か登りに行かない理由を自分で自分に作ってしまうみたいな感じでした…。

例えば、わざとではないのに、怪我が続いたり…です。

■ 心理世界は、”メタファー”で、出来ている

それは、あるロッククライミングでパートナーから命の危機と感じられるような行為があり、その事件が、幼少期に父にプールに落とされた映像を思い出す(フラッシュバックする)きっかけになりました…(汗)。

これは全く、忘れていた記憶でした。なんせ父の顔も覚えていないのです、私。なので、このフラッシュバックの中の父の顔は、クライミングの相方の顔です。

…というのは、心象世界と言うのは、”メタファーの世界”なんです。

事実:父に赤ん坊の自分がプールに突き落とされ、溺れかける
メタファー: 無知に殺される

事実:クライミングで無知なリードクライマーにトンデモリードされ、一歩間違えば、二人ともさよーならー路線だった
メタファー: 無知に殺される

  → トラウマのフラッシュバック

事実:目の前で2歳の弟がロッキングチェアによじ登り、ごろん!となって頭を縫う怪我
メタファー: 知らずに危険なことをする

事実:リスク管理できないクライマーが死の危険に自らを陥れる (例:支点に通さずにロープを投げる)
メタファー: 知らずに危険なことをする

 → 弟への投影がスタート (未完了の感情)

■ 一人でいる子供

私は小さいころから一人でいることが多い子供でした。

しかし、コミュニケーション能力の問題…発達障害…などではなく、単純に家でも、兄弟の親代わりをしなくてはならず、学校でも生徒会役員などで、子供ながらに15分刻みのビジネスマンみたいな生活で、役割負担が多かったので、心のリソースを節約する必要があるのだ、ということが、子供ながらに分かっていました。

■ 自動反応は、自己調整とは違う

以下が回避型の人の自動反応です。

・自動反応:  ビデオゲーム、インターネット、飲酒、一人の趣味、ひとり時間
・「ひとり時間」の中毒
・対人関係のストレスに弱い
・自動反応は自己調整とは違う

■ 自動反応とトラウマ

私は成人して、自動反応はすっかり乗り越えた気でいたのに、トラウマのフラッシュバックを原因にして戻ってきました…。それは、生命維持のための防衛機構の発動なので、かなり強力なのです。しかも、役立つものであり、無意識化に行われるものなので、なかなか気が付けません。

フラッシュバック単体については、暴露療法があるのを知っていたので、自分で、水泳教室に通って治しました。というか、まだ完全には治っていませんが、傍目にバレないくらい、分かりにくくなりました。

私の場合は、”水面”を水の中から見ると、身体の硬直が起こるので、水面を見ないで済むバタフライが得意です…。大人の初心者でバタフライしか泳げませんって、こんな理由から、あるんですねぇ(笑)。

自動反応は、自覚できれば、抑えられるものだと思います。

今まで無自覚につまり無意識に人を遠ざける行動をとっていたみたいなのです。

私にとって、人=疲れる とインプットされているので、なんらかのピンチで本当に原始の自分に戻ると、疲れる=今は無理、という公式になってしまいます。

こういう自動反応があると、家族ですら癒しではなく、疲れる、のほうにカテゴライズされてしまうかもしれません…。

友人や家族のような、自分の支援者になってくれる人のほうも、”疲れる”にカテゴライズされてしまう…と言う無意識の反応=自動反応が、これまでいろいろな人…どう見ても一緒に登っても安全な人…にクライミングに誘ってもらっても、なんか行きたくない、と言う理由になっていたみたいです。

■ 防衛ちゃんをどうするか?

この自動反応に防衛ちゃんと名前を付けました。

防衛ちゃん: 「あ!セルフが危ない!助けに行かないと!」
セルフ: 「助けて…」
防衛ちゃん: 「来たよ~」(セルフ、引きこもる)
セルフ: 「助かった~。ありがとー! あれ、なんか今さっきの助けて~は間違いだったみたい…」
防衛ちゃん:「分かった。帰る」

上記の会話を見ている第二のセルフ: 「防衛ちゃん、お疲れ様。セルフ、間違えてたんだね、でもよかったね、分かってさ」

って感じかもしれません。

防衛機構と言うのは、生き延びるのに必要としてきたものなので、発動してくれないとある意味、正常ではないかもしれません。

危険を察知できず、誰にでも彼にでもついていったら、クライミングみたいな命がかかる活動ではそれこそ、命がいくつあっても足りません。

というわけで、私の防衛ちゃん、ありがとう。

と言う結論になった今回のセラピーデモセッションの観察による自己セラピーの結果でした。ほかの人がセラピーを受けている様子を見るだけでも、自分を顧みるいろいろな手段を得ることができます。

最も大きいのはセラピストを見ている自分が第二のセルフとして知能を発揮することではないか?と思います。





 

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