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宇多田ヒカルとインターネットと私

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パソコンとの出会い

私の父(電気屋)はパソコンが大好きでした。
はやりのテレビゲーム機やゲームボーイはいくら頼んでも買ってくれなかったのに、パソコンだけはなぜか与えてくれました。「TOSHIBA Dynabook satellite」は初めて私が単独で使うことを許された思い出のパソコンです。パソコンといえば巨大ハードディスクを抱えたデスクトップ型が当たり前だった時代に、satelliteはラップトップ型のコンパクトなボディ。なのに大容量のメモリーがあり、フロッピーもCDも外付けなしで使える優れものでした。父から渡された時は嬉しくて嬉しくて、自分の部屋で小躍りしたのを覚えています。

しかし、父はパソコンを与えてはくれるものの、自分が使うのに必死で私に教える余裕はありませんでした。当時はよくあった真っ青のフリーズ画面になっても、「まあ自分でなんとかしろや。爆発はしないから」とゲラゲラ笑いながら言い放つのみ。そもそもwindows98とは?ブラウザーとは?インターネットにつなぐにはどうしたらいいの?わからないなりに必死で覚えたのは訳がありました。

「Message from Utada Hikaru/Utada」が読みたい!


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99年にすい星のごとく現れた宇多田ヒカル。J−POPとは全く種類の異なる四つ打ちのビートが腹に響く骨太なR&Bがラジオで流れた瞬間から、私は彼女に心をすっかり奪われてしまいました。歌詞を何回も何回もノートに写経し、AutomaticのPVを家のソファで練習し、ファーストアルバム「First Love」は、聞きすぎて「In My Room」部分で傷が入っていまい、イントロ部分が延々ループする特殊仕様になってしまうほど。

当時宇多田ヒカルは非常に謎めいた存在でした。音楽番組に出ない、もちろんバラエティも出ない、ライブもない、ラジオも音源のみ、濃霧みたいに謎に包まれた新人アーティスト。

SNS全盛期の今じゃ信じられないと思いますが、当時事務所が間に入らずアーティスト発信の生の声を聞く機会はほぼありませんでした。田舎に住んでいたので、唯一のフリートークが聞けるラジオ" トレビアン・ボヘミアン"も入らない。絶望していたわたしに舞い込んできたのは宇多田ヒカルのホームページです!彼女はそこで日記をほぼ毎日更新していました。それがMessage from Utada Hikaru/Utadaです。

宇多田ヒカルとインターネット

覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、当時の宇多田のサイトは、flashなどのメディアがもりもり埋め込まれた最先端のつくりで、そもそも素人がアクセスしてもまともに表示されない曲者でした。アドビから英語だらけのflash playerをDLした時は「とんでもない額の請求がきたらどうしよう…」とガクガク震えたものです。

でも、そんな罪悪感なんて比にならないぐらい宇多田ヒカルの日記は魅力的でした。「最後のキスはタバコのflavorがした(First Love)」なんて、田舎っぺの私が何週間考えてもわからない大人びた歌詞を書く宇多田が「学校でこんなことあったよ」「風邪ひいちゃった」なんて、友達からのメールみたいなノリでガンガン更新するんです。紅白に出ない理由も丁寧にまずファンに知らせてくれたり、アルバム曲の解説をしてくれたり…。学校から帰って来たらカバンをひん投げてDynabookに向かうほど、私は宇多田の日記に夢中でした。新しいシングル(addicted to you)が出ると知った時は、学校中の友達に大騒ぎして伝えました。自然と宇多田ヒカル文法(コロコロ一人称が入れ替わる、顔文字がちょいちょい入る、基本的にちょけてる)を真似しては、学校の作文で「真面目にやれ」と怒られたものです。

都会に強い憧れがあった私は、おちゃらけた文体の向こうに透けて見えるNYと東京を行き来する宇多田の都会的な雰囲気に、すこしでも近づきたかったのかもしれません。

「アクセスしてみると映るコンピュータースクリーンの中 / チカチカしてる文字手を当ててみると / I feel so warm / It’s Automatic.」

これは名曲Automaticの一節ですが、どうにか彼女に近づきたくてPCを必死で覚えた私がダブって、いまだに聞くとジンとしてしまいます。神様みたいに思ってたアーティストの思っていることが、自分の目の前のスクリーンに現れるなんて。

今、インターネットを使った仕事に就けているのも、宇多田の情報を得たい一心でインターネットを覚えたあの頃があるからです。ありがとうHikki!PCを好き勝手自由に使わせてくれた父にも感謝!

先日ふと思い返して「Message from Utada Hikaru/Utada」を覗いてみると、なんと当時のブログがまだそのまま公開されてるじゃないですか!自分の核となるインターネットの思い出が、まだ彼女のドメインに存在してくれてることを本当に嬉しく思います。私にとって特別でずっとずっと大好きなーアーティストの一人です。これからも素敵な音楽を作り続けて欲しいです。

きん

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