発達障害と診断されても、あきらめきれなかったことが、本当にやりたかったこと
発達障害と診断を受けてから、あきらめたことは数知れず。
まず、報道番組のアシスタントディレクターをやめた。
すなわち、その先のディレクターを目指すことをあきらめたということ。診断を受けるきっかけとなった仕事だ。
テレビ業界は、みなさんの想像を上回るほどに障害者差別がまかり通っている。煩雑な仕事をスケジュールの調整をしながらこなす、発達障害者にとって酷としかいえないもの。
次に、世の中の「当たり前」に沿うことをあきらめた。
発達障害と診断を受けた以上、世の中の「当たり前」に沿って生きることは困難だ。当たり前のことすらもできないから、発達障害と診断を受けたのだから。無理やり自分を「当たり前」の枠にねじ込もうとすればするほど、何一つうまくいかなくなり、目の前が真っ暗になる。うつ病や適応障害など、二次障害を発症する原因にもなりかねない。
今年に入ってからは、障害を隠すことをあきらめた。
診断を受けてから1年ほど、健常者のフリをしながら契約社員をしていた。いつも健常者のフリをして、嘘をつきながら働いていた。本当のことを言えばクビになるから、障害ゆえのミスをしても言い訳ができない。この嘘は、誰にもメリットがない。そう悟った瞬間、今まで頑なに貫いてきた嘘が、すんなりと宙に溶けていった。
家庭を持つこともあきらめた。
ADをクビになってから、今住んでいるアパートを引き払い、実家に戻るタイミングはいくらでもあった。しかし、家族の中で自分だけが障害者という事実に疎外感を抱き、あれから2年経っても実家とは物理的距離をおいたまま。加えて「発達障害が原因で離婚した」「発達障害は遺伝しやすい」という話を時折耳にすること。こんな状況で、家庭を築くことに幸せなんて、見いだせない。
地元の同級生とつながりを持つこともあきらめた。
診断を受けたのは地元を離れてから。いじめられた、周りと何もかみ合わなかった過去を知る人と、やりとりすることが怖い。もう地元にいないのだから、無理してつながらなくてもいいと腑に落ちた。
発達障害と診断を受けてから、あきらめたことがどっと増えた。
だけど、ヨーロッパを旅することは、あきらめきれなかった。
「発達障害者には不可能」「障害者は外に出るな」と言われても。
誹謗中傷の声に逆らって、ヨーロッパの旅を続けた。心の赴くままに、世界をこじ開けた。
その中で、発達障害ゆえのミスをなるべく回避する心がけや、旅のスタイルを見つけることができた。
発達障害者でも、なんとかヨーロッパを旅することができている。あきらめなくて、本当によかった。
私の見るヨーロッパは、よどみなく、どこまでも美しい。
障害を理由にすれば、なんだってあきらめることができる。
働くことも、人と話すことも、笑うことも。
「発達障害者の私には無理だから」と理由をつけて、あらゆることをあきらめている人はいっぱいいる。
果たして、そのすべてが「発達障害者の私には無理」なのか?と疑問に思うことがある。
発達障害と診断を受けたからって、すべてをあきらめる必要はないと思うんだ。
あきらめなければならないこともあるかもしれないけれど、全部がそうだとは思いたくないんだ。ヨーロッパを旅することをあきらめきれなかったからこそ。
たくさんあきらめて、
どうしてもあきらめきれなかったことが、しがみついてでも自分の中に残しておきたいものだと思う。
人に宿る執念の強さは、障害の有無を問わない。
それが、私の場合はヨーロッパを旅することだった。全部あきらめてしまったら、たぶん、何も残らない。
だけど、この世界は発達障害者が一筋縄で生きていけないようになっている。
発達障害を理由にあきらめることが増えれば増えるほど、絶望とどろどろした感情が私を蝕んでいくだろう。
それでも、私は最後の「生きること」はあきらめたくない。
何らかの理由でヨーロッパの旅や文章をあきらめることがあっても、だ。
ヨーロッパのきらめきが胸にあるからこそ、私は生きることをあきらめきれない。
カジヤマシオリ http://kajiyamashiori.info/
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