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時代を間違えた人

昨日の美学の授業で、古代ギリシャでは男性同士の同性愛が認められるどころか推奨されていたと聞いた。当時は男尊女卑が強く、女性は汚れているので男性同士の恋こそ純粋であるという考えが根底にあり、homosexual のホモは混じり気のない、純粋という意味だそうだ。女性は汚れているのでどうでもいいと扱われていたそうだが、きっと女性同士の恋だってあったと思う。私たちは同性愛に比較的非積極的な日本に生きているが、時代が違えば扱いが違ったのではないか。


こんばんは。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は今日は一日中寝ていて、夜はせめて何かしようとAviutl を使う練習と創作をしていました。明日こそ早く起きて課題をやりたいと思います。


同性愛の推奨は古代ギリシャに限らず、日本でも江戸時代に男性同士の恋である衆道が存在しました。キリスト教的思考が流入した今こそ日本はLGBTQ に厳しいですが、昔はそうではなかったのです。

キリスト教的考えが同性愛を犯罪扱いするのは、聖書の「産めよ育てよ」という言葉に起源するそうです。同性カップルは子供を産めないので、この言葉に反してしまう、という理由からキリスト教では同性愛がいけないと考えられています。

このようなことを知ると、今を生きて生きづらさを感じているLGBTQ の人々も、生まれる時代や場所が違えば違う扱いをされていたのでは、と思います。もちろん日本に比べて同性愛に厳しく、犯罪扱いされる国もあるので、そういう意味では私は恵まれています。でも、もし、同性愛がもう少し認められた世界に生まれていたなら、少しは生きやすかったかな、と思うのです。

そうはいえど、生まれてしまった以上、置かれた場所で咲くしかないので、未来の日本が今より同性愛に寛容になることを願います。


これを読む人は、自分は時代錯誤だと思ったことはありませんか。私はあります。自分が正しく評価される時代に生まれるのってかなりの幸運ですよね。それではまた明日。

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