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掃除から学んだこと⑪~掃除に熱中していると「今・ここ」を生きられる。掃除後には清々しい気持ちを連れてきてくれる。 

「2025年7月に・・・」という予言が、話題になっているそうです。
 過去にも「ノストラダムスの大予言」「マヤの予言」などがあり、それぞれ、うわさで言われるようなことは、何も起こりませんでした。
 
 未来を知りたいという気持ちは誰にでもあると思います。
 または「あ~すればよかった」「こうしておくべきだった」など、過去を後悔することだって1回や2回ではないと思います。

   でも、考えたり、思い煩ったりしてもどうすることもできません。
 過去には戻れないですし、未来はまだ来ていないからです。
 できるとしたら、「今、ここ」、目の前の事に一生懸命になる事だけです。


 
 私自身も、上記の「予言」に囚われて、ネガティブな気持ちになったり、「どうしよう」「世界が終わるなら、頑張ったってしょうがないじゃないか」と投げやりになったことがあります。
 
 でも、今は違います。
 

そんな予言に囚われて、ただ悶々として、時間を無駄にすることがもったいなく思えるようになりました。


 
 それは、掃除の会に参加するようになったことが大きいです。

  いろんないろんな悩みや、やらなくてはいけないことで頭の中がいっぱいでも、

掃除をし始めると、だんだんとそんな頭の中のおしゃべり、思いが消えていきます。気づくと、黙々と便器を磨いている自分になっていました。そして、ふっと、嫌なことを思い出しても、すぐに磨く行為に集中できるので、堂々巡りをしてとらわれることなく、流していけました。
 そして、掃除し終わったあとのきれいな状態を見て、本当に清々しい、あるいは、高揚した気持ちを味わえました。


 
 そんなことを繰り返すうちに、

ネガティブな出来事はある(そう捉える自分がいる)にしても、それにとらわれるか、受けとらないかは自分次第だということを体験的に学べました。


 
掃除はお寺(禅宗?)の修行の中にもあります。
その場を「きれいにする」ことだけではなく、「自我をなくす」ことがその目的と言われてきました。実際に、便器を磨きながら、「頭の中のおしゃべりが静まる」ことを経験して、何となくわかる気がしました。

 「予言」を知って不安がったり、陰謀論を信じてしまいそうになるのも、ある意味、自分(自我)が「不安をつくり出していたから」とも言えます。

 そんな頭の中の「幻想」に惑わされず、目の前の事に集中することで、気持ちも明るくなっていきます。

 掃除の会に参加している多くの人が、「明るい」のも、掃除後の清々しさを味わったり、ポジティブな捉え方を身につけたりしていくからかもしれません。                                      

皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです

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