読書紹介59 「Yの悲劇」
感想など
「Xの悲劇」に続く、ドルリイ・レーンシリーズの第2弾。
文学作品には「古典」と呼ばれる本があり、長い歴史や時代を経ても読み継がれている作品がたくさんあります。
ミステリー作品でも同じことが言えて、今回の「Yの悲劇」はミステリー作品の古典名著の一つとされています。
(以下、ネタばれを含みます)
これまで、さまざまなミステリー作品を読んできました。
その中で、アッと驚く結末を何回も体験して、自分がいかに先入観や思い込みで読んでいるか(見ているか)を思い知りました。
例えば、犯人は、一人や二人とは限らないこと。
例えば、物語の語り手自身が犯人だったこと。
例えば、犯人と見られないように、犯人自身がけがをするなどして、被害者のふりをすること。
例えば、時に、犯人が死体のふりをして、アリバイ作りをすること。
等々。
今まで、散々「大どんでん返し」や「まさか、この人が・・・」というような経験をしてきたので、けっこう、何でも「疑いながら」読めるようになったり、「〇〇」は犯人ではないと、最初から決めつけて除外したりすることがなくなったりしました。
そのおかげで、今回の「Yの悲劇」の犯人を当てることができました。
でも、もし、他のミステリーの本を読んでいなかったら、犯人を知った時、きっと「まさか、ありえない・・・」と驚いただろうと思います。
逆に言うと、現在のミステリー作品の多くがアガサ・クリスティやエラリー・クイーンなどの古典的な「トリック」「構想」などを真似して、加工して、新しいミステリーとして作られていっているのだと思いました。
ミステリー作品は、その作者の「独創性」が問われます。
まだ、誰も考えたことがないようなトリックやプロット、意外性を求めて、次々と古今東西のミステリー作品を手にする読者が多いからです。
この「Yの悲劇」には、犯人の意外性。
死んだ人の犯罪計画(今回は書いていた探偵小説)を第三者が代行するというストーリー。
ヨーク家の癖のある人物の登場。
「結末前に、推理に必要な材料がすべて示される、フェア・プレイ」
「論理的で明確な推理(解決編)」
などなどが、ちりばめられていました。
ミステリー作品の人気ランキングでいつも上位に入る理由が分かる気がしました。
次の言葉も印象に残りました。
ミステリー作品作りのヒントになるかもしれません。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
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