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「天国」と「地獄」の違い~「天国」では、どうして笑っていられるのか? 

 「天国」と聞いたらどんなイメージが湧くでしょうか?
 
 お花畑があって、虹も出ていて、蝶がとんでいたり・・・。
 ひょっとしたら天使もいるかもしれません。
 いいにおいがしそうで、やわらかく、あたたかい・・・。
 いろいろとイメージが広がりますが、ちょっとポジティブな感じです。
 
 では「地獄」と言ったら、どんなイメージが湧くでしょうか?
 
 血の池や針の山、岩ばかりでごつごつしていそうです。
 ひょっとしたら鬼もいるかもしれません。
 暗くて、熱くて、重苦しい・・・。
 やはりいろいろとイメージはわきますが、ちょっとネガティブな感じです。
 
 では、実際はどうか?
 こんな話があります。
 
 
 ある日、地獄へ見学に行ってみると、ちょうど昼食が始まる前の時間でした。
 地獄だけに「さぞ、粗末な食べ物だろう。ひょっとしたら食べさせてもらえないのではないか」と思っていると、テーブルの上には海や山でとれる珍味ばかりのごちそうが並べられています。

 しかし、そんなテーブルの前に座っている地獄の罪人(亡者)たちは、テーブルの上にはたくさんのごちそうが並べられているのに、それを食べることができず、飢えに苦しんでいます。
 
 どうしてだろうとよく見ると、罪人たちの片腕がイスにしばりつけられ、もう一方の腕には、ものすごく柄の長いスプーンがくくりつけられています。
 罪人たちは一生懸命にテーブルの上の食べ物をスプーンですくって食べようとするのですが、柄が長すぎて、口に持ってくることができません。
 中には怒り出す人もいます。人のつまんだものを奪おうとする人もいます。
 ですが、結局、自分の口に持って行こうとしても口の中に入らないので、みんなガリガリに痩せてこけていました。
 
 次に、天国へ見学に行ってみると、ちょうど夕食が始まる前でした。
 やはり、テーブルに並べられた食べ物は山海の珍味ばかり。どれも美味しそうです。そして、天国の住人はみんなふくよかで、にこにこしていました。
 
 ところが、よく見ると地獄と同じように、みんな片腕がイスにしばり付けられ、もう一方の腕に柄の長いスプーンがくくりつけられているのです・・・。

 「あれ、これでは地獄と一緒じゃないか。でもどうして、こんなに違うのだろう。」 

同じ状況なのに、この表情や体つきの違いはどこから来るのか???


 
 皆さんはどう思われますか?
 
 
 そう、

天国の住人は、みんなその長いスプーンで、「お互いに食べさせてあげていた」のです。お互いに食べたいものをスプーンにとり、その人の口まで運んであげていたのです。


 これだと、食べられず飢えることもありません。
 相手の事を考えることで、自分のことも考えてもらえます。
 
 自分のことだけ、周囲と争い苦しんでいる人。
 互いに助け合い、相手の事を考えている人。
 
 どちらが楽しくて、幸せな状況かは明白です。
 
 ただ、日常生活の中では、忙しくなると、文字通り「心を亡くす」状態になり、周りの事を考えられず、自分のことだけで頭がいっぱいになることは多々あります。

 そして、周りとの溝を深めたり、けんかになったり、助けてもらえず、苦しい思いをしたり。 

 そう「天国と地獄」はどこか遠い場所の話ではなく、自分の心の中の事ともいえます。
 あるいは、自分の言動ひとつで、現実が「天国や地獄」の状態にもなります。

 

お釈迦さまは、相手を幸せにすることで、自分も幸せになることができると「自利利他(じりりた)」と教えられたそうです。


 そういえば、実業家の

斎藤一人さんは唱えるだけで運気が上がる「天国言葉」として、「ついてる」「ありがとう」「うれしい」「楽しい」「感謝しています」「幸せ」「許します」等を紹介しています。


 これも、言葉の力を使って、「天国」状態をつくっていく秘訣、方法の一つなのかもしれません。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。
 
 

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