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【#155】ラコすけの自己紹介

何を今更という話ではあるのですが 笑

noteを始めてから150記事くらいを投稿しましたが、振り返ってみると自己紹介記事を投稿してなかったことに気がつきました。

発信を読んでくださる方からすると、こいつはどんなやつなのか?というのがわかっていた方が内容も入ってきやすいだろうと思いますので、改めて自己紹介をさせていただきます。


○私はこんな人

私は現在30代後半で教育機関(大学)に勤務している2児(男の子)の父親です。

大学では教員ではなく職員という立場で働いていて、現職でそろそろ10年くらいが経ちます。

入社した時には国際関係の部署に配属され、国内の学生さんを海外に留学させる大学の制度の運用や企画を担当していました。

そのあとは、学生さんを総合的に支援する部署に異動となり、学生さんの入学〜進級〜卒業に係る在学期間の管理や判定資料の作成、大学祭や学生自治活動に対するサポート、様々な学生さんが学びやすい環境になるような配慮に関する事案や相談毎などに対応する部署に勤務しています。

もう大学での勤務が長いのですが、実は新卒では百貨店に入社をし、転職を経て現在に至ります。

百貨店では婦人雑貨や傘を扱う売場の販売員を3年程経験した後に、法人営業部に異動。あまり外からだとわからないのですが、飲料等に付くおまけ(フィギュアとかクリーナーとか)を企画〜生産〜納品する部署があるんですね。ここで、飲料メーカーさんに向けの販促サポートの仕事(SP業界)に1年程携わりました。

その後、IT系のコンサルティング会社に第二新卒で採用していただき、3年程、主にSAPという業務期間システムを導入するコンサルティングプロジェクトに従事しました。この時に研修やその会社の風土で学ばせていただいた汎用スキル(PCとかファシリテーションとか)は今でも役に立っています。

その後、転職者の斡旋を行う人材系の会社に転職し、営業を経験しますが全く風土が合わずにすぐに退職。

そんなこんなで現職に至ります。

小学校からサッカーをやっていて、高校では硬式テニス部に所属。今でも高校の友人と時折フットサルをしたりしてます。小学生の頃はかなりぽっちゃり系だったのでとにかく走るのが嫌で、全くオーバーラップをしない右サイドバックでした。

中学は市立、高校は県立で受験とはあまり無縁の人生でしたが、高校3年生の時に部活を引退してからというもの、無心で毎日10時間くらい勉強をし始め、奇跡的に受験期まで継続することができた結果、自分の志望していた私立大学の商学部に入学することができました。ゼミではマーケティングを専攻。アルバイトは本が好きだったので本屋さんを長くやっていて、スポットでサッカーの試合の日にスタジアムの外で案内をやったり、クロネコさんでの館内物流の仕事でとあるららぽーとのオープンに向けたテナントさん荷物の搬入をやったりしていました。

大学の時は洋服にとても興味が出てきて、友人とひたすらセレクトショップに通う等、とにかく異常なくらい着丈やサイズ感にこだわりを見せていました。今は一つも着れませんし、次男に噛まれたり引っ張られたりするのでオールUNIQLOで固められております。

○こんなことを考えて生きてきた人です

義務教育〜高校・大学と、いわゆる良い子で先生の言うことを守る、親の言うことも守る、という生き方をしてきました。

そのまま就活に突入してイマイチ社会のことがわからないままに、とにかく内定をもらえるようにいろんな業界を受けまくりました。

そんな中、第一希望は素材メーカーの営業職。最終面接まで行けたのですが、そこで残念ながら落ちてしまい、その他飲料や菓子メーカーも最終で残念な結果に。

百貨店だけが内定をくれたのですが、その時の自分は行く気がなく、どうしようかなぁなんて考えている一方で、リーマンショックがあり内定取消なども出始め、やっぱごめんなさい頑張ります、という形で百貨店で社会人人生をスタートすることにしました。

社会人になってから感じたのは、とても当たり前なことなんですけど、会社に貢献しないやつは重宝されないということ。学歴は入口や入社後の派閥でプラチナパスになるケースはあれど、結局は努力と成果が全てだということです。

思考停止していた自分は惰性で社会人生活を送り、会社の上司に言われたことを守ることを重視する社会人でした。

そんな状態で成果が上がるわけもなく、とにかく時間だけを会社で過ごす日々が続きます。

そんな中で人生の転機になったのが、妻との出会って結婚を考え始めたこととコンサルへの転職でした。

ちょうど百貨店の法人事業部に異動し、朝から晩まで働く毎日の中、斜陽産業ゆえに給与は厳しくサービス残業も常態化していました。

当時付き合っていた妻との結婚も考えられない。今まで一生懸命言われたことを守って生きてきたのに、なんでこんな状態を甘んじて受け入れなきゃならんのだ、なんのために生きてるんだ俺は!ということで、勝手に怒り始めて転職エージェントに相談。キャリアとして第二新卒という枠で今でこそ人気の就職企業ランク上位ですが当時は知名度の低かった内資の総合コンサルが募集をかけているとのことで、そこに転職して能力を磨くことでいろんな道を模索したい、人生の主導権を取り戻したいと言う思いで、転職活動の末に内定をいただき転職が実現しました。

それまでの人生で言われたことを守る人生が当たり前の自分には大きな衝撃で、家族からもだいぶ反対もされましたが(よらば大樹思考の母親でした)、実態を踏まえ私の意思は固くコンサルへ転職。

百貨店とコンサルは業界の風土やそこで働く人の考え方等が全く違っていて、どちらが良い悪いという話ではないのですが、同じ「働く」と言っても全然違う世界が広がっているんだと言うことを身をもって知ることになります。

コンサルはコンサルで非常にハイレベルかつ意識高い人しかいないので、それはとても大変でしたが、同期にも恵まれとても貴重な時間を過ごすことができました。

そこからは収入が一気に上がったことで、結婚。妻の出産を経て子供が産まれ、父親と言う属性が追加されたことで、より一層「働く」ことに対して考えるようになりました。

その中で一度、極度のパワハラ上司に当たったことがあり、過労もあってか持病(高血圧)で検査・服薬することに。

この状態で長く働けるように体調を戻しながら、自分の転職経験を活かせる職場はないかなぁと考えている中で、学生さんたちに経験を伝えられること、比較的働きやすい環境であることを理由に、大学に転職をすることになりました。

大学への転職はエージェントにあまり情報が出ていないので、自分でこまめにHPを見ながら作戦を立て、数を撃つ形でなんとか内定を頂くことができました。

振り返ってみると結構飽きっぽいので、キャリアやライフステージ含め、変化の激しい人生でしたがそれなりに楽しかったなあと思っています。

現在では体調もだいぶ回復し、職場での仕事にも慣れてきました。本業でしっかり価値を出して収入を上げていく道を模索しながらも、これまで感じてきた当たり前と言われていたことが実は当たり前じゃない、固定的な価値観のまま惰性で生きていくのは非常に危ないという経験を踏まえ、しっかりと未来に向けて、特に子ども達が安心できる社会になるとう良いなあなんてことを漠然と思いながら、しっかり今の自分を鍛えていきたいと思い、木下さんのVoicyで通勤やランニングでインプットをさせてもらい刺激を受けながらも、noteなどのアウトプットも始めているという状況です。

○趣味や発信の内容

趣味はフットサル、テニス、あとはお腹を引っ込めるためにかつ血圧を安定させるために低速ジョギングを続けていたところ毎年のフルマラソンが恒例行事になりつつあります(もう今年で3年目です)。

あとは小さい頃からゲームが好きで、特に任天堂をこよなく愛してきました。家に私、長男、次男と3台もスイッチがあります。

加えて私が小学校3年生の時に発売された世界No1コンテンツのポケモンも世代ど真ん中で、長男次男が大好きなので、しばらく間が開きましたが、子供達のおかげでほぼ全てのポケモンの名前を言えます。一緒に親子で楽しんでいます。

発信の内容は、日々の仕事や育児のことが中心に、時々斜め上からその時思ったことなどを発信しています。

仕事はこの春、管理職候補となりましたので、まだ部門を任されておらずポストの空き待ちではあるのですが、管理職として意識すべきことというしてんからの発信、またプロジェクトベースの仕事に従事していることもありそこからの気づき、その他日々の仕事に関わる気づきなどを発信していきます。

育児については、極力子供の小さいうちは一緒に過ごすということを重視して過ごしているので、その中で子供と向き合い思ったことや逆に子供に教えられること等を配信しています。

更新頻度は、週5本くらいのペース、できたら毎日のつもりで頑張っています!

以上、自己紹介でした!

少しでも興味のある方は是非フォローをしていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。


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