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ポイ捨ては祖母の腰を曲げる

地球の味方気取りだった。
中学時代、国語の課題で『地球を守ろう』といった内容の詩を書いたことがあったほどだ。

『未来のために何ができるか』
そんな風に考える時間を失ってしまったなと今、40歳を超え気付く。

ゴミの分別に協力したり、洗い物の油をなるべく紙に吸収させて燃えるごみで出したり、こまめに電気を消したりするが、「これは誰にも負けないんだ!」などという特別なことは何一つしていない。

昔に比べ、だいぶ街も綺麗になった。
ただ、幹線道路の生け垣だけは未だに80年代が忘れられているような気がする。

ポイ捨て。これだけは嫌いだ。それは中学生時分のいい人気取りを引き摺っているわけではない。

夏休みの朝、祖母が一輪車(手押し車)を押し、ごみ捨て場に向かうのに時々付いていった。私が幼かった80年代頃、自治体のごみ捨て場の回収は、不燃可燃全部一緒くただった為、一輪車の上には木や草や日常のゴミなどが乗っていた。

ごみ捨て場まで500m程。草の陰や側溝に嵌まった空き缶やゴミを拾い、一輪車に乗せると、祖母は「偉いなあ」と褒めてくれた。一輪車を押しては止まり、ゴミを拾い、また歩きだしては拾い、たった500mの距離をずいぶん長い時間を掛けて進む祖母に、早く家に帰って遊んで貰いたかったのもあったのかもしれない。
褒められ得意になった自分が、普段より少し大人になった気がして、私はその時間が好きだった。

かくして私は、『誰かが道端に捨てたゴミは誰かが善意で拾う場合もあり、その人の時間を奪っている』『それは誰かの大事な人で、痛む腰と膝を曲げながら拾っているかもしれない』ことを幼い頃より刷り込まれた。

その為、ポイ捨てする人間が、祖母をはじめ街を綺麗にするために努力をしている人を踏みにじり虐める、鬼畜に思えてならなかったのだ。だから私にとってポイ捨て行為は憎むべきものなのだ。

そんな自分も、今は、誰が捨てたとも知れぬゴミを拾えなくなってしまった。子供にポイ捨てをしないよう言い聞かせても、祖母のように共に拾う事は数少なかった。
いつか画期的なシステムが開発されゴミ一つない街になるのかもしれない。

そんな今の自分とこれからの自分にできること。
新しい技術を受け入れて使いこなせるよう努力すること。温故知新。柔軟に生きること。

私にできることはきっとそれだけだ。

祖母が背を向け腰を丸めゴミを拾う姿が、とても好きだった。

だからポイ捨てはしない。


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