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【エッセイ】どういうところがカワイイの?

新しくピカピカの真っ赤な折り畳み自転車を一目見て、心の中でイイネ!スキ!を押していた。同僚がカワイイよねと言ったので同意した。カワイイ!と持ち主に伝えたところ、照れて、恥ずかしいと仰った。来日して間もない方だ。

この時のかわいいは、幼い女の子みたいだね、と言う意味では決してない。むしろカッコイイも含まれていた。

『「かわいい」と言ってる自分がかわいい』

最初に言ったのは誰だろう。
面白い視点だと思ったがずっとしっくり来ていない。
ブリッコもする、媚びもする。ちょっと甘えた声で頼んだり謝ったりする。それらは潤滑油と同じものだ。ブスがやったって、おじさんに向けては2割増し、体感では8割増しで有効なのだ。
尚イケメンにはやれない。通用しない相手にはお互いのためにも変な効果は追加しないに限る。それはさておき…


本気で「かわいい!」と言っている時、ブリッコも媚びもしていない。
むしろこの気持ちを共有したい、全世界に発信したいとさえ思う。
猫がかわいい時、2、3歳の幼児がたどたどしく喋り掛けてきてくれた時、マンホールの脇に積もった僅かな土に住み着いた苔を見た時、猫がかわいい時、息を吐くようにカワイイー!と言っている。
好きなアイドルがいたとしたら、その子の一挙一動に毎日キャーキャー言うだろう。その30倍はカワイイと呟くはずだ。

キャー!という感嘆に言葉をつけたらカワイイだったということだ。
ときめいて心臓キュンとなって射貫かれた時、カワイイとしか言えず、もともと少ない語彙引のき出しがびくともしなくなるのだ。
カワイイは既に感嘆詞なのかもしれない。


かわいさを共有したくて、かわいいよね?!とふってしまうこと、ふられることは多々ある。
かわいくはないかな…とはまず言えず、ウンカワイー、と心をうまく込められず棒のような返事をしてしまうことがある。

だが自分が共感を得たい側だった時、いやどこが?どういうところが?と言われた方が、むしろ嬉しいかもしれない。

だがその後小一時間は、猫のかわいさの力説に捕まることとなるので時間に余裕をもって相手のターンにした方が良いだろう。

尚、冒頭の自転車は素敵で格好よく、私の心をときめかせたが、私の中のカワイイ、ではなかったため、同僚に同意したとき目が泳いでいただろう。
真意ではない言葉で困惑を与えてしまった罪悪感がほんの少しあった。

自転車のフレームの色が、朱色かモスグリーンのような、王道じゃないのに自己主張の強い色、だったら心からのカワイイが出ていただろうと思うので、これはただの好みの話しでもある。

つまりわたしにとって猫はドストライクなのだ。我が家の猫は私と接する度にカワイイを連発で浴びており、かわいいー!もー!あー!カワカワカワ…と一吸いに10回は浴びている。
猫も困惑しているに違いない。

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