週刊「我がヂレンマ」<7月22日号>

 汗噴き出すことゲリラ豪雨がごとく。止まらぬこと地球の自転、そんな誰も求めてない、しかし酷暑。いい加減にしてほしいです。
 タオルで拭いた傍から汗の粒が出現、汗腺フル稼働、清涼飲料ガブのみ地獄。ハンカチの消費、半端ないスピード。
 もう、今年の夏は海にいってたまるか。木更津で海は終わりだ。来年は千倉か、和田浦に行ってやろうと思う。いや、木更津でいい。面倒である。
 今年の夏の思い出作り、あとは墓参りだけだ。今のところ。あまりにも怠い、弱者過ぎる夏。木更津と墓参りでは、ちと、悲しい。もう一つ、これぞ夏という思い出をつくりたい。
 それはそうと、今週のコンテンツ。
<メモについての解説と考察>
<購入した書籍の紹介>
<マンデーひとり歌会>
 三島由紀夫先生が生まれた頃の七月下旬の気温は、26度ぐらい。羨ましい。その頃は家業でも継いで、いくらかの理不尽に耐え忍び、懸命に働らけばそれでよかった。自由は少ないが、或る意味単純だった(無知)。
 そして涼しかった。
 2024年は36度ですよ。三島先生。時代も、気象も、すこし狂ってますが、前置きはこれくらいにして、書きます。

<メモについての解説と考察>

「碧花一朶(へきかいちだ)」
[碧花]は青い花のこと。[一朶]は花の一枝、また、一輪の花。つまり、一輪の青い花のこと。「岸壁に可憐な碧花一朶、風になびく清涼な美しさ」なんて、使い方か。
 または、「青いワンピースの彼女は、碧花一朶の麗しさ」だろうか。
 何にせよ、若干難しい表現なので、伝わり難いのが難点。それでもぴったりこれだ、と思えば使うかも。

「障害は欠落ではない。個性だ」
 と、言う人がいる。それは違うと断言したい。
「障害は個性ではない。欠落だ」
 間違いなく。
 善意からの発言だろうが、偽善そのものだ。障害を個性だというのなら、「全盲」も個性なのか。健常者の「障害は個性だ」という人は、素晴らしい個性である全盲になりたいか? 嫌だろう。
 何故か。「欠落」だからだ。人は耳が聞こえたほうがいいし、全身が問題なく動く方がいいし、正常な知能は欲しい。
 その欠落を、健常者がいくら手を貸し、出来る範囲で「生きる」自主性を尊重できればいいのだ。

「Adоさんの本人証明」
 覆面大人気実力派シンガーです。説明不要の天才歌姫。そんな彼女だが、当然、私生活があるわけで、「はじめまして」もあるわけだ。友人か、知り合いか、また恋人候補か。誰にせよ「仕事何してるの?」となるだろう。
「お、音楽関係」「ライブしたり」しばらくはかわせるだろうが、人間関係が深くなっていけば、
「じ、実は私、Adоなんだよね・・・」
「いや、またまたぁ」
「う、うっせぇわ」
「似てるなぁ!」
「ホントに、Adoなの」
「いやいや、、、」
 本人証明はどうするのか。事務所か、関係先に連れて行って証言してもらうほかないのか。
 どうでもいいが、気になるところだ。と、メモしたのだろう。

「春の雪 豊饒の海 124頁」
 主人公の松枝清顕と友人・本多の会話、本多の発言を抜粋。
「それなら何十年先に、貴様が一等軽蔑する連中と一緒くたに扱われるところを想像してごらん。あんな連中の粗悪な頭や、感傷的な魂や、文弱という言葉で人を罵るせまい心や、下級生の制裁や、乃木将軍へのきちがいじみた崇拝や、毎朝明治天皇の御手植の榊のまわりを掃除することにえもいわれぬ喜びを感じる神経や、・・・・・・ああいうものと貴様の感情生活とが、大ざっぱに引っくるめて扱われるんだ。
 そしてその上で、今俺たちの生きている時代の、総括的な真実がやすやすとつかまえられる。今はかきまわされている水が治まって、忽ち水の面に油の虹がはっきりと泛んでくるように、そうだ、俺たちの時代の真実が、死んだあとで、たやすく分離されて、誰の目にもはっきりわかるようになる。
 そうしてその『真実』というやつは、百年後には、まるきりまちがった考えだということがわかって来、俺たちある時代のあるまちがった考えの人々として総括されるんだ。
 そういう概観には、何が基準にされると思う? その時代の天才の考えかね? 偉人の考えかね? ちがうよ。その時代をあとから定義するものの基準は、われわれと剣道部の連中との無意識の共通性、つまりわれわれのもっとも通俗的一般的な信仰なんだ。時代というものは、いつでも一つの愚神信仰の下に総括されるんだよ」

「間(あわい)の存在」
 物と物とのあいだ。事と事との時間的なあいだ。人と人とのあいだがら。色の配合、取り合わせ。折、機会。
 あいだ。とは違うそうです。日本語は面白いです。AとBに挟まれた空間ではなく、AとBが交わるところだと。知らないことを知れる、それは素晴らしいとメモした気がします。

「臭突(しゅうとつ)」
 汲み取り式トイレの匂いを軽減するためのもの。汲み取りトイレは汚物を便槽というタンクに溜めている状態なので、どうしても臭いが発生する。そして便器の穴などから臭いがあがってくる。
 便槽に管を接続し屋根より上、臭いが出て困らないところに設置。トイレ内の空気も吸い込み、排出、臭いを軽減する仕組み。
 私の母方の実家が汲み取り式で、臭突がなく、臭かった。
 そんなことを書いていたら、臭い気がしてきました。やめます。

「岡山県、水没ペンション村 鹿忍グリーンファーム」
 岡山県瀬戸内市牛窓にある「鹿忍グリーンファーム跡/水没ペンション村」は、廃業したリゾート施設が水に浸かったまま残されている不思議な光景を見ることができるスポット。
 このリゾート施設はかつて塩田だった場所に、1980年ごろ建設開始され、鹿忍グリーンファームという名で親しまれていました。
 溜まった雨水をポンプで汲み出しながら営業をされていたが、2000年頃には閉鎖され、撤去されることなくそのままの状態で残されています。2014年頃には現在と同程度まで水没していたとされ、建物が水没しているだけでなくかつてゴルフ場だった場所や、車までも水没。
 湖の上に広がる水面に、三角形の建物が浮かんで立っているように見える奇妙な光景が広がっている。
 湖と書きましたが、ここは超広大な「水溜まり」なんです。まさに世紀末な景色。ロマンですね。

<購入した書籍の紹介>

「掌の小説 新装版」
                              川端康成
『幻想、謎、狂気、夢、愛・・・・・・
 ノーベル賞作家のショートショート122編
 文学の至宝|新・川端康成
 新解説・小川洋子』

 両親を早くに失った私は、幼い頃から祖父を一人で介護していた。私が十六歳の時に祖父が亡くなり、火葬され・・・・・・。
 自伝的な「骨拾い」のほか、「伊豆の踊子」の原形をなす「指環」、謎めいた高貴な少女が馬車を追いかける「夏の靴」、砕け散ってしまった観音像を巡る「弱き器」など、四十年以上にわたり書き続けられた豊穣なる掌編小説122編。神秘、幻想、美的感受性等、川端文学の粋が凝縮されている。

 え、ショートショート書いてたのか? 川端先生。
 無知であるが故、書店で見かけるまで知らなかった『掌の小説』。しっかりと、たしかに枕元の文庫用の本棚に収まってます。

「或る女」
                              有島武郎
 美貌で才気溢れる早月葉子は、従軍記者として名をはせた詩人・木部と恋愛結婚するが、2カ月で離婚。その後、婚約者・木村の待つアメリカへと渡る船中で、事務長・倉地のたくましい魅力の虜となり、そのまま帰国してしまう。個性を抑圧する社会道徳に反抗し、不羈奔放に生き通そうとして、むなしく敗れた一人の女性の激情と運命を描きつくした、リアリズム文学の最高傑作。
 巻末に用語、時代背景などについて詳細な注解、および解説(加賀乙彦「愛の孤独と破滅」)を付す。

本文より(212ページ)。
 ああこの言葉――このむき出しな有頂天な昂奮した言葉こそ葉子が男の口から確かに聞こうと待ち設けた言葉だったのだ。葉子は乱暴な抱擁の中にそれを聞くと共に、心の隅に軽い余裕の出来たのを感じて自分というものが何所かの隅に頭を擡げかけたのを覚えた。
 倉地の取った態度に対して作為のある応対が出来そうにさえなった。葉子は前通りにすすり泣き続けてはいたが、その涙の中にはもう偽りの滴すら交わっていた。
「いやです放して」

有島武郎(1873‐1923)
明治11年、東京生まれ。札幌農学校卒業後、3年間アメリカに留学。帰国後、母校の英語教師となる。明治43年、創刊された雑誌「白樺」の同人となり、文学活動をはじめる。
 大正5年、妻と父の死を機に、本格的創作活動にはいり、『カインの末裔』『小さき者へ』『生れ出づる悩み』などを次々に発表。
 大正8年には改稿をかさねた『或る女』を完成するが、第1次世界大戦後の社会運動の波に内的動揺をきたし、大正11年、有島農場を解放。大正12年、波多野秋子と共に自殺。

「2001年宇宙の旅[決定版]」
                       アーサー・C・クラーク
                            伊藤典夫=訳
『謎の物体「モノリス」の正体とは?
 鬼才キューブリックが
 壮大な映像と音楽で描くSF大作』

 300万年前の地球に出現した謎の石板は、原始的な道具さえ知らないヒトザルたちに何をしたのか。月面で発見された同種の石板は、人類にとって何を意味しているのか。宇宙船ディスカバリー号のコンピュータ、ハル9000はなぜ人類に反乱を起こしたのか。唯一の生存者、ボーマンはどこに行き、何に出会い、何に変貌したのか・・・・・
 スタンリー・キューブリック監督とともに創造した傑作に、巨匠クラークが新版序文を付した決定版。

「ソフィアの災難」
                      クラリッセ・リスペクトル
                      福嶋伸洋/武田千香◎編訳
『今、すべてが生まれ変わりつつあった。
 若者の目覚め、主婦におとすれた啓示、
 少女の運命、出口を求める老婆――』

『日本翻訳大賞受賞『星の時』の著者であり、ウルフ、カフカ、ジョイスらと並ぶ20世紀の巨匠死後約40年を経て世界に衝撃を与えた短篇群』

『10代から晩年の作品まで南米の巨匠の全貌
 一貫性を捨て混沌を求める、鋭利な言葉と燃え盛る世界』

「暑さがますます蒸せ返り、すべてが力と大きな声を獲得していた。祖国志願兵(ヴオルンタリオ・ダ・バトリア)通りは、いまにも革命が勃発しそうで、下水の格子蓋はからからに乾き、空気は埃っぽかった」
                           (「愛」より)

「うみべのストーブ 大白小蟹短編集」
                              大白小蟹
『このマンガがすごい! 2024』宝島社
(オンナ編 第1位)

期待の新鋭、大白小蟹(おおしろこがに)・初単行本。
生活から生まれた絵とことばが織りなす、珠玉の7篇。

「小蟹さんの澄んだ心の目。そのまなざしを借りて私たちは、忘れそうなほど小さくて、でもとても大切な何かを見つめなおす。たしかに降ってきたけれど、とっておけない雪のように。」
                             ――俵万智

[収録作品]
●「うみべのストーブ」
運命のように出会ったえっちゃんとスミオにも、ある日訪れた別れ。傷心のスミオを海に連れ出したのは、隣で彼を見守り続けていたストーブだった・・・。
「ふたりが・・・お互いに、好きだったこと 私はちゃんと覚えている 何度だって思い出すよ」
連載時のカラーを再現し、2色刷で収録。

●「雪子の夏」
トラックドライバーの千夏が雪の日に出会った、雪女の雪子。夏のあいだは消えてしまうという雪子に見せてあげたい、忘れられない夏の物語。
「誰もあたしのことを 思い出してくれなくなったら こんなぼんやりしたまま 永遠に消えちゃうの?」

●「きみが透明になる前に」
ある日事故で透明になってしまった夫。彼の姿が見えないことにほっとしている自分はもう、彼を愛していないのだろうか・・・。見えないものに触れる、夫婦の絆のかたち。
「ねえ泉 ありがとう 僕を見つけてくれて」

●「雪を抱く」
パートナーとの間の妊娠を知り、複雑な気持ちの若葉。大雪で家に帰れなくなったある日、偶然出会ったコウコと朝までの時間を過ごす。女性の身体をめぐる物語。
「わたしの身体が わたしひとりだけのものだったことなど一度でもあっただろうか」

●「海の底から」
仕事で忙しい毎日を送る深谷桃は、かつてのように小説を書くことができない。いまの自分はまるで海の底から上を見上げているようで・・・。
創作に向き合うことができないでいる生活者の苦悩の物語。
「悔しい 書かなくても幸せでいられるのが」

●「雪の街」
はなれていた親友の突然の死をきっかけに訪れた、昔住んでいた町。思い出のファミレスで出会った森田という男と、死んでしまったスーちゃんのことを思い出しながら、雪道を歩いていく。
夜の黒さと雪の白さは、彼らの弔いを静かに描き出す。
「鈴木さんがどこかで 元気でいてくれるといいなって ずっと思ってました」

●「たいせつなしごと」
単調な仕事に明け暮れる毎日のなかで、いつのまにか自分の心は動かなくなっていた。いつかどこかのゲートが開いて、別の世界へ行けたなら・・・。暮らしのなかにある光を見つける小さな物語。

<マンデーひとり歌会>

 今週も今週で詠ってやりますよ。もう午後10過ぎ。締切まで2時間もない。取り急ぎ、詠っていきますか。クオリティーなぞないがしろにして。
 ただ詠えればよいと、終われば官軍と、ただそれだけか。
 いや、考えれば、時間をかければそれで秀作が生まれるのか。いいように考えれば瞬間的で直感の鋭い、そんな歌を歌えればいいな、と。都合の良いように考えて、想いをでっち上げ、ただただ詠っていくだけ。
 前置きに時間を割くのはもう終わり。いきます。

その子牛てくてく歩く可愛いよ目ん玉デカく幾らか怖い

人生をマイナス思考思い詰め峠を越えて見て見ぬ地平

夕間暮れ日向のミミズ干からびて踏まれ喰われて土に還りて

夏祭り縁遠いかな縁日よ人と人との繋がりきれて

とめどなく孤独纏いし大暑よ呼んでないから帰ってくれや

朝を告ぐニワトリの聲耳にして首切断後血を抜き喰うて

繰り返し昇り暮れ行く毎日を掴み損ねて至る煉獄

おっぱいを揉ませてもらいありがとうそんな関係結ぶ素敵さ

田舎道実家の影へ帰り道すがた現すあの日面影

迸る光り輝くパリ五輪儚き時に躍る心臓

 疲れた。月曜日が終わろうとしている。圧倒的に怠い。衰えに言葉の力で立ち向かう現状で、短歌の力を借りている。借り物競争、自分がライバルですね。「楽をしてやろう」「これでいいかな」「いや、これでは駄目だ」と、一文字に集中する。拘る。短歌で学んだことを、小説やエッセイに活かせているだろうか。
 闇に沈んだ荒涼とした砂漠で、灯りもなく、足をとられ彷徨う姿は亡者に等しく、時折差し込む月光に目が眩む。さりとてとまるわけにもいかず、沈む足の不快を振り払うでもなく、先を目指す。
 短歌は、道具箱にしっかりと収納されている。
 少しは、言葉に磨きをかけられているか。
 ま、明日からのショートショートで証明します。了です。




   

 
 
 
 

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?