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【読書】みんな自分にしか観られない映画を観ている

4月からありがたいことに二つの読書会に声をかけてもらい、参加している。

一つは、『嫌われる勇気』の読書会で、月に一度、実際にその場に集まって朗読し合う会。手作りスイーツが美味しい。

もう一つは、『心感覚』という本の読書会。10人くらいのメンバーで、毎週一回夜にzoom開催をしている。

今日はその『心感覚』の第3回目の読書会だった。

今日の読書会の感想の前に、この本の感想を一言。

何やら難しそうな本だったので、私は読書会の前に一読しておこうと4月半ばには読み終わっていた。その感想は一言で言うと、こうだ。

ぜんっぜん意味がわからん……。


読み終わったあと、「これ、日本語で書いてあったよね?」と思うほど、内容が理解できないのだ。しかも、難しい単語とか難しい言い回しだからとかではなく、シンプルな易しい言葉で書いてあるのに、である。

……これは、読んでみないとわからないと思う。(と言って要約から逃げる)

後半はもう頭の中が?????だったけど、
今日みんなで読み合った第一章3節のところまでは何とか理解できたので、そこに少しだけ触れたいと思う。


繭の中のサナギ〜自分にしか観られない映画〜


「物理的な宇宙」は何個ありますか?

そう聞かれたら、あなたはなんと答えますか?

「宇宙は一つでしょ」

私はすぐにそう思いました。この本の中にいる質問者さんもそう答えていました。



しかし、筆者のノジェスさんは、「物理的な宇宙は一個ですが、意識の宇宙は無限にあります」と言います。



「宇宙=繭」「身体の自分=サナギ」だとイメージしてみてください。Aさん、Bさん、Cさんは別々の「意識の宇宙」の住人です。あなたの宇宙はあなただけのもので、一度も誰とも共有したことがないとノジェスさんは言います。

このカップを例に見てみましょう。



「同じ一つのカップ」を見ているようで、見る側のポジションによって、見え方が違います。

それぞれの視力が違えば、2人が見ているカップはますます違うものになるでしょう。

このカップの印象はどうでしょうか。ある人は、「色が綺麗で普段使いに良さそう」、別のある人は「ちょっと小さいので使い勝手が悪そう」、またある人は「これ、花瓶にしたらいいかも」と思い、「小物入れにしたい」と思う人もいるかもしれない。

こんな風に、どんな人がどのように見るかによって、「同じ一つのカップ」でも無数の見え方があるのです。

これは、全てのモノや概念にも通用します。

つまり、あなたと同じ画面を見ている人は一人もいないのです。

「一本の映画を1000人が観れば、1000通りの映画が上映されている」と言った方がいるそうです。

あなたしか観ることができない、あなただけの映画を、生まれてから死ぬまで「映画だと思わないまま」上映し続けている。それがあなたの人生なのです。

『心感覚』


ここまで読んで納得できたのは、コップの例でもあったように、一つの出来事でも見る人によって無数の見方があるということ。

だから、「正しい」とか「間違っている」、「良い」「悪い」を判断することは、とっても難しいことなんだということ。

一人一人が持っている「正義」は違うから。

わからなかったことは、結局「みんな違ってみんないい」ということで、自分とは違う価値観をどこまで受け入れなきゃいけないのか。もしくは、受け入れないでいいという考えなのか。

そこはまだわからない。

また来週の読書会で、みんなで「あーじゃないこーじゃない」と話すのがとっても楽しみ。

みんなほぼ初対面で、全国各地からの参加で会ったことも無いのに、すぐに本音を言えるような読書会になってすごいなと思った。主催者の方の柔らかい雰囲気が場を作っているんだと感じた。

また、読書会の度に感想をnoteに書いていけたらいいなと思う。




最後まで読んでいただきありがとうございました!







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