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【読書】『嫌われる勇気』は読む度に違う世界へ連れていってくれる

『嫌われる勇気〜自己啓発の源流「アドラー」の教え』の読書会に参加することになった。

4月から休職していた私を気遣って、我が子の保育園のお母さん友だちが「気晴らしにおいで」と声をかけてくれたのだ。

場所は、我が家から車で5分の彼女の家の離れだった。彼女は、ヨガのインストラクターでもあり、そのために大工さんと一緒にセルフビルドで素敵な場所を作っていた。

そこには大きな桜の木があり、満開だった。  

その日集まったのは、私を入れて10人。元々知っている人が3人で、あとは初めましての方々だった。70代の男性が一人とあとは女性の方々。年齢は30代から70代まで幅広かった。

空間が素敵だったことと、その場に集まった方々の柔らかい雰囲気もあってか、みんな最初からリラックスして自分のことを話した。70代の男性が最初に挨拶をした。

親子関係に悩まされている人、三年前に妻に先立たれ、生きている心地がしないと言う人、我が子が幼い頃に夫に先立たれ、辛い思いをしながらもがむしゃらに生きてきた女性、三年間くらい引きこもっていたけど、今日勇気を出してきたという女性などなど、みんな見た目ではわからない、色んな過去と向き合ってここにここに来ているんだということがわかった。

大小あれど、みんな「対人関係の悩み」があった。私もそうだ。3月末は、まだ休職したばかりで、今までの色んな悩みが頭の中の大半を占めて悶々とした日々を送っていた。

アドラー心理学は、「すべての悩みは対人関係の悩みである」と断言している。この会がみんなにとってどんな会になるのか楽しみになった。


この本は、「哲人」と「青年」の対話形式で進んでいく。「哲人」役をこの読書会の講師であるAさんが朗読していき、「青年」役を一ページごとに参加者のみんなで変わりばんこに朗読をするという形式だった。

Aさんは、日頃から音楽と朗読のイベントを主催していることもあり、「哲人」の風格たっぷりで台詞を読んでいく。「青年」役で台詞を読むことは最初とても緊張したけれど、読んでいくうちに段々と青年の気持ちに感情移入することができるようになった。何より、人の声を通して文章を読むという経験が心地よかった。

この本は、第一夜から第五夜まで、五つの章に分かれている。実は私はこの日が初日だったが、他の人たちは第二回目の会だったので、この日は第二夜の章をみんなで朗読した。

第二夜の章で印象的だったのは、「なぜ自分のことが嫌いなのか」という節だった。

私は、「自分のことを責める癖」がある。自己評価が低くなることが多い。それをアドラー心理学の視点から見ると、自分が「自分を好きにならないでおこう」と決心しているからだというのだ。自分を好きにならない方が本当は自分にとって都合がいい。だから、短所ばかりを見て、長所を見ないように自分でしている。

自分に自信がない」と、「自分に可能性さえあれば」という可能性の中で生きることができるのだ。

自分が何かを挑戦して、失敗するのが怖い。もしかしたら、「自信のない自分でいること」は、そのための自己防衛反応だったのかもしれない。

本を読み進めると、少し心が苦しくなるほど、自分の内面を見つめた時間になった。 

ありがとう


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1ヶ月後。今日は2回目の読書会に参加した。体調不良の人も多く、参加者は私を含めて7人だった。

さっそく第三夜を読み進める。「承認欲求を否定する」という節に、最初から心を鷲掴みにされた。



耳が痛い。私はおそらく、承認欲求が強い方だと思う。だからこそ、人に褒められたり、認められたりする生き方を選んできたようにも思う。しかし、それはいつの間にか私の「生きづらさ」に繋がっていた。

自分よりも他人を優先する。その思考と行動の癖はまさに、承認欲求からきている。ここ数年は特に、他人の期待を満たすために生きることがいつしか当たり前になっていたことに改めて気付かされた。

次の節では、「課題の分離」について考えた。「課題の分離」とは、対人関係において、自分の課題と他者の課題とを分離する必要があるという考え方だ。

私自身、この本を初めて読んだのは子育てが始まって間もない頃だった。この本を読んで、「課題の分離」に妙に納得し、我が子の課題を自分の課題にしないように、気をつけて声かけをしてきたような気がする。

(数年前にこの本で読んだことが自分子育てに少しは活かせていたんだな……)

と、少し嬉しい気持ちにもなった。

しかし、今回は新たな気づきがあった。それは、私はこれまで「課題の分離」を「他者の課題に踏み込まないこと」だと認識していたが、「自分の課題に土足で踏み込まれること」については全く意識していなかったのだ。

目から鱗だった。自分の課題に対して「土足で」踏み込まれることについて、私は苦しくても我慢していた節があったのだ。

さらにそのとき、自分はどれほど「他者の目」「他者の評価」を意識して生きていたのかを突きつけられたような気がした。

「自分の課題に踏み込まれること」とはつまり、「他者が私の判断にどんな評価をするか」ということも含まれている。しかしそれは、もうそれは自分でコントロールできるものではないし、気にすることでもない……。


言葉にすれば当たり前のことだけれど、私はそれができていなかった。だから、自分の人生を自分で決めかねていた。人の評価が気になって仕方なかった、自分がありありと見えてきた時間だった。


この本は、すごい。今まで何度も読んだはずなのに、読むたびに新しい発見がある。これからも何度も読み返して、新しい発見をしていきたい。そして、自分の人生のハンドルを見つけたいなと思う。


おやつ付きの読書会


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長文を最後まで読んでいただきありがとうございました!

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