今から1年半前になりますが、note上に「当たり前の日常に感謝していますか?」という記事を書きました。気になる方はぜひご覧になり何らかのアクションを取っていただけると今後のnote上における記事の執筆のモチベーションアップにつながりますのでぜひよろしくお願いします。 リンクは以下より。 さて、今回私がまた記事を書こうと思った理由の一つに身近な人、中学時代の先生であり今の飲み仲間が亡くなったという悲しい出来事がありました。今日お通夜に行き本人と会ってきたのですが、どうも実感が
Perfumeの結成25周年を記念する展覧会が10月14日まで東京虎ノ門ヒルズで開かれており、長崎から何とか日程を調整し最終日に行ってきた。 感想は、結論から述べると「行ってよかった。」いや、むしろ逆に行かなかったら絶対に後悔していた。当初は「ディスコグラフィー」を見送り、夏に宮崎で開催されていた衣装展に行く予定だったが、大きい地震が来たため宮崎行きを断念したため今回の遠征はその代理だった。 「体験型」という言葉を謳っていたので、今回の展覧会の内容はライブで実際に使われてい
仕事の休憩中は食事を摂ったあとは数十分ほど仮眠を取ることが多い。今日もいつものように昼食を摂り、休憩室の床に仰向けになった状態で寝ていた。 夢に父方の祖母(故人)が出てきたのである。 父の実家は喫茶店を営んでおり、今でも祖父がカウンターに立っている。私の祖母は私が小学校1年生の時に亡くなった。祖母は生前はもちろん祖父と一緒に店のカウンターに立ち、コーヒーを淹れながら常連客とのコミュニケーションを楽しんでいた。先述したが祖母は私が小学校1年生の時に亡くなったので、私は祖母が淹れ
筆者は温泉が好きだ。休みの日になると近所のスーパー銭湯はもちろん、たまに自宅から車で1時間半ほど走ったところにある温泉郷へ足を伸ばすこともある。私が住んでいる県には2つの温泉郷が存在し、今日はその中の一つである硫黄泉で有名な山中にある温泉へ行ってきた。料金を払いいざ浴室へ入ると先客がおり、軽い挨拶をしてから自分の体を洗いつつどこから来たのか、などと世間話をする。謂わば裸の付き合い、袖擦り合うもの多少の縁。これは温泉の醍醐味なのだ。 その後湯船に浸かりながらも話が盛り上がりその
昨日(2024年6月23日)、さいたまスーパーアリーナにてEIGHT JAM FES2024というイベントが開かれ、Perfumeが出演するとのことで早速航空券とライブチケットを確保し行ってきた。今も彼女らの楽曲をBGMにこの駄文を打っているが、一夜明けた朝でも昨日の興奮は覚めぬままである。 考えてみると、私がPerfumeの沼に「本格的」にハマったきっかけはなんだったんだろうか?それを帰りの上野東京ラインの車中、日高屋で餃子とラーメンを食いながら必死に考えてみたがその記憶が
古くから長崎で老若男女に親しまれていた穴場の名所、「浜屋の屋上」が5月6日をもって閉店するとのことで別れを告げるべく行ってきた。屋上を運営する次の業者が見つからなかった、遊具の老朽化が著しいとのことからの閉店だとのことである。その他にも子供の数の減少、あるいは車社会の波に乗って郊外に大型店舗がオープンしたという社会的な背景もあるのだろう。 かつてデパートという場所は我々庶民にとっては非日常な場所。子連れのファミリーが買い物に行くと、親の買い物に付き合ったご褒美として屋上遊園
大分県別府市に「ひとやすみ」という食堂がある。そこは70過ぎのマダムが切り盛りされており、600円ほどでご飯と味噌汁がおかわり自由、カウンターにある料理を、どれでも好きなものを選んで食べられるという、謂わば「ビッフェスタイル」の食堂である。以前地元のローカル番組で取材されており存在は知っていたが、縁があり今日訪問することができた。こんにゃくの甘辛煮に魚の煮付けにひじきの煮物といった家庭料理がカウンターに並んでいて、それらを好きなだけ取って食べることができる。私も早速席について
兵庫県立美術館で開催されているPerfumeの衣装展、『Perfume COSTUME MUSEUM』へ旅行を兼ねて行ってきた。この展覧会の見どころはPerfumeのデビュー年である2005年から今日に至るまでの、約170着の衣装が全て展示される衣装展です。Perfumeの衣装史を時系列に1章(2005年~2011年)、2章(2012年~2015年)、3章(2016年以降)で紹介され、最後の4章ではステージ衣装が特集された展示会である。主役である3人はもちろんのこと、衣装制作
今年は長崎で4年ぶりに長崎くんちが行われます。4年ぶりのおくんちということもあり、いつも以上に街中が活気付いているような感じです。私が生まれ育った地域も今年は奉納踊りの担当なのですが、家族や地域が一体になっていい出し物を作ろうという団結力は素晴らしいものです。 そもそも長崎くんちというのは何かという質問が多いので大まかにここに書くと、寛永11年に豊前国中津(現大分・中津)出身の2人の遊女が長崎の氏神である諏訪神社の神前で謡曲「小舞」を奉納したことが始まりとされているそうです
先日、東京は代々木第一体育館をメイン会場として渋谷・原宿エリアで都市型フェスinspire tokyo2023が開かれるということで、地元長崎から2泊3日の行程を組み遠征してきました。 目当てのアーティストはもちろんPerfume。まだ「にわか」の域だと自負はしているのですが、私はPerfumeが好きなのです。かしゆか寄りの「箱推し」です。 今回が初ライブとなったわけですけども、やはり生で、5感でライブの空気を感じるのは素晴らしいですね。何よりも3人と同じ空気を吸うこと、オフ
昨日で東日本大震災から12年の月日が経ちました。そんな12年目の昨日、筆者は小学生の頃からお世話になっていたサークル活動のキャンプがとある山の中のログハウスで行われており、休みを利用して久々に顔を出してきました。かなり久々にお会いする先輩方とも話が弾み、楽しい「とき」を過ごしていました。するとサイレンが鳴り、瞬時に地震が起こったときの黙祷を告げるサイレンだと判断した我々は1分間の黙祷を捧げました。その「1分間」の中で感じたことは、長く会えてなかった人たちに「お久しぶりですね
早朝から新聞配達をやってます。断続的に寝れない日が続くのでそういう時は深夜ラジオを聴いたり本を読んだりしてます。今もナインティナインの「オールナイトニッポン」を聴きながらタイピングしてます。深夜枠のラジオを聴きながら思うのはリスナーの頭の回転というのは凄まじいものだなと。自分も結構昼間のFM放送の番組にメールを送ったりしてます。大体こういう内容のメールを送ると放送する側もリスナーも結構ウケがいいと心得ているつもりではありますが・・・ 深夜ラジオって結構奥が深いわ・・・笑
本日はただの日記というか雑記です。Facebookにも書くわけにはいかずこっちに書きます。 ちょっと色々とあり新年度が始まっておよそ2日ほどで大学を出てから丸二年ほど続けていた仕事を辞めました。畑違いの仕事をやりたいと思いハローワークに相談に行き、色々と考えた挙句に7月から職業訓練校に通うという結論に至りました。 その前に6月8日にそこに入るための適性検査があるのですが、その検査に合格しなければ訓練校に入ることができません。検査自体は、一般的に見るとそこまで難しい問題が出るわ
2週間前に仕事を辞め、友達に誘われ林間学校の手伝いに行った。長崎県島原半島にある塔坂(とうのさか)地区という集落にある、「とんさか森の楽校」という施設である。そこでは、「遊び」「まなび」「癒し」の3つのジャンルを中心に四季折々の「授業・プログラム」を日帰り、長期滞在といった形で提案している。 で、そこで何をしたか? 時は4月の頭。筆者は思うところがあり3年やっていた仕事を辞めた。モヤモヤとした心境の中、小1から長い付き合いである幼馴染に一か八かで相談をするべく電話をかけた