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ボニさん通信 No.7「カレーライスについて語ってみた…その2」

ハーイ!ボニさんでーす!!

前回のボニさん通信「カレーライスについて語ってみた…その1」でボニさんが作り続けてきたカレーライスについて熱く語ってみました。

カレー大好きなボニさんなのでカレーライスについて、まだまだ熱く語りたい!
というワケで、その2を書くことにしました。

また、今回は初の試みとしてマンガに出てくる料理を再現するとこいうことにチャレンジしてみました。

そして、気に入ってもらえたら、有料記事もあるので、お買い上げいただけたら嬉しいです。



マンガで見た「 ライスカレー 」とは…?


カレー大好きなボニさんはマンガを読むのも大好きなので、特に料理を作るマンガが好きでよく読んでいます。

料理を作るマンガの中で「 ライスカレー 」の出てくるマンガを読んだので、日本における「 ライスカレー 」について、ボニさんが独断と偏見で調べたことと合わせて、またまた熱く語ってみようと思います。


「 うちのちいさな女中さん 」( 作・長田佳奈 )を読んでいたら…


「 うちのちいさな女中さん 」は料理がメインのマンガではないですが、昭和9年というボニさんが知らない時代のことがよく描かれていて興味深い作品です。

14才の少女ハナが山梨から東京へ出てきて翻訳家の蓮見令子という女性の家で女中として働きながら、様々なカルチャーショックを乗り越えていくお話です。
真面目で健気にがんばるハナちゃんの様子が面白いので、ボニさんのお気に入りのマンガなのです。

「 うちのちいさな女中さん 」第8話の「 洋食はじめ 」では、今や日本では洋食とは思われていない、「 ライスカレー 」が取り上げられています。
女中のハナがが初めて食べる洋食として「 ライスカレー 」が描かれているのがニクイところです。


女中のハナが、彼女の雇い主である翻訳家の蓮見令子、通称「 先生 」と一緒に作る「 ライスカレー 」がどんなものだったのか、ボニさんはとても気になったので再現してみることにしました。


カレーライスが日本に伝わってから現在までの流れ


女中のハナの「 ライスカレー 」の再現の前に、日本のカレーライスの歴史を調べてみました。

日本で国民食となったカレーライスですが、実はインド料理を元にイギリスで誕生し、明治初期に日本に伝わりました。

日本人で最初にカレーライスに遭遇したのは、元会津藩白虎隊士で物理学者の山川健次郎(白虎隊唯一の生存者・飯沼定吉とは別の人)で、1871年(明治4年)に米国留学に向かう船上でのことだったそうです。

その翌年の1872年(明治5年)に「 ライスカレー 」の作り方を紹介した本が発行され、国内でライスカレーが手軽な牛肉の食べ方として普及していきます。
明治初期から中期は限られた西洋料理店でしか食べることのできないハイカラ料理のひとつで、庶民には高根の花といった存在でした。

西洋料理店でしか食べることができなかった「 ライスカレー 」ですが、1923年(大正12年)に「 S&Bカレー粉 」が発売されます。
これと同じ頃に起きた関東大震災の後から食堂などでもライスカレー、カレーうどん、カレーそばがメニューとして出すお店が増えていきます。

1926年(大正15年)にハウス食品がインスタントカレールウを発売し、S&Bカレー粉と共に普及することで、今に通じるカレーライスのスタイルが確立していきました。

この時期に「 ライスカレー 」の普及にかかせないのが、あの”Boys be ambitious(少年よ大志を抱け)”で有名なクラーク博士です。

クラーク博士の像

クラーク博士が1876年(明治9年)に北幌農学校(のちの北海道大学)へ教頭として着任した際に、寮食のメニューに取り入れて推奨したのだそうです。

当時、日本ではまだ馴染みのなかった玉ねぎ、にんじん、じゃがいもを寮食のライスカレーに使うことができたのも農業学校ならではのことだったと思われます。
「 ライスカレー 」という言葉を考案したのもクラーク博士だと言われています。

栄養価が高く、調理が簡単で大量に作ることができる「 ライスカレー 」は軍用食としても取り入れられていきます。
「 金曜日はカレーの日 」というのも、航海中に曜日感覚がなくなるのを防ぐために、日本海軍がイギリス海軍をお手本にしたためとされています。

これらのことから、北幌農学校の卒業生や軍人などが一般の家庭にも少しずつ広めていくのに貢献しているのではないかとボニさんは考えます。


ライスカレーからカレーライスへ


イギリスでは「 curry and rice 」または「 curried rice 」と呼ばれていて日本に伝わったカレーライスですが、クラーク博士以来「 ライスカレー 」と呼ばれるようになっていました。

その「 ライスカレー 」がどうして「 カレーライス 」に戻ったのか…? ここからはそんなお話です。

1963年(昭和38年)には、ハウス食品が「 バーモントカレー 」を発売します。CMでも人気アイドルを起用し、西城秀樹の「 ヒデキ感激!! 」がボニさんの子供の頃によく聞かれました。

1964年(昭和39年)の東京五輪前には「 カレーライス 」という名称が定番になっていました。

戦前は「 ライスカレー 」と呼ばれていたのが、このあたりで「 カレーライス 」となっていったのですネ!

1968年(昭和43年)世界初の市販用レトルトカレーの「 ボンカレー 」を大塚食品が販売を始め、一般家庭でも気軽に「 カレーライス 」を食べることができるようになりました。

レトルトとは、🇳🇱オランダ語で加圧過熱殺菌をする釜のことですが、熱と圧力をかけて殺菌しながらパッキングすることができる装置のこです。

ボンとは、🇫🇷フランス語で「良い、美味しい」という意味だそうです。

ボニさんが子供の頃、ボンカレーのパッケージは松山容子さんでした。

ちなみに、現在、この松山容子さんを使っているパッケージのボンカレーは沖縄限定なんですよ~♪

ボンカレーの歴史(ボンカレー公式サイト)

このレトルトカレーの発明で「 カレーライス 」が日本の国民食になったのではないかとボニさんは思っています。

できるだけ自分で食事を作るようにしているボニさんですが、レトルトカレーは常備していて、忙しい時や体調が良くない時などに重宝しています。

150年くらい前に日本にやって来たカレーライスですが、日本人の嗜好に合わせ日々進化を遂げてきました。

ボニさんの子供の頃と比べてもカレールウもレトルトカレーも抜群においしくなっていますね。
幼児からお年寄りまで大好きなカレーライスを、ボニさんは50年、60年、70年と大切な人の笑顔のために楽しみながら、工夫をこらして作っていきますよー!

Adios!

ボニさん通信 No.7






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