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退路を断った38歳、小さすぎる一歩

『ラヴィット!』を最後まで観る。仕事のある日にそれが可能なのは転職したからだ。遅くとも朝5時にはシャワーを浴びていた前職から一転、現在は9時出社の日もあれば昨日や今日のように11時出社の日も。いずれにせよ朝の時間にゆとりを持てるようになった。もっと言うと、職場が自宅最寄り駅からたったの2駅である。

「応援で来た◎◎です。よろしくお願いします」

 昨日は出勤早々、はじめましての女子アルバイトスタッフに遭遇。私とほぼ同じ入社数日目にして、接客も洗い場も様になっている。何なら大先輩のベテラン女性スタッフとフラットに会話すらしている。男の私でも辛いこの職場を楽しめていることに驚きを隠せない(※常に無表情なので隠してはいる)。

 彼女に限らず、学生スタッフ(若いフリーターも含む)の勤務レベルが総じて高い。志の低い者はすぐに辞め、精鋭のみが残っているから当然と言えば当然なのだが。激務と揶揄されがちな飲食店で、無我夢中、我武者羅、遮二無二に働いている。社会経験の年数ではビハインドを抱えているが、若さ故の素直さと行動力がそれを跳ね除けている。とにかく迷いが無いのである。努力は必ず報われると信じているのだろう。今はそれで良い。大人の黒い部分や、理不尽で無慈悲な現実を知るのはもう少し先でも良いだろう。

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 そんな若き精鋭はアルバイトだけではない。新卒で入ったばかりの社員も70人以上は存在する。中途も合わせると実に100人を超えており、本社の大会議室で合同入社式が開かれたのは4月1日のことだ。午前は入社式、午後はオリエンテーション、そして夕方は歓迎会と初日にしてハードスケジュール。

 当然、1時間の昼休みも設けられた。希望者には弁当が格安で支給されたが、私は直前まで行われていた入社式の厳かな空気(社長を始めとする重役が勢揃いしていた)に耐えられず、外に飛び出した。30分ほどで戻ると、新入社員のほとんどが大部屋に残り、弁当を食べていることが判明。何なら前後左右の席の人と雑談までしている。もちろん無言でスマホをスワイプしているだけの人も。まるで学校のような光景。38にもなって集団行動における孤独感を味わうことになるとは。

 そんな陰キャでコミュ障の私だが、誰とも話さなかったわけではない。朝9時半、入社式前の説明会にて、私の右の席に居た原価率さん(仮名/名前の由来は後述/男性)が「配属どこですか?」と話しかけてくれたのだ。

「◎◎店です」「家はどこですか?」「◎◎駅の近くです」「近いじゃないですか! ずるいですよ!」

 原価率さんは私のみならず、彼の右に座る武田真治似の男性とも会話を交わしていた。全てはこの瞬間から始まった。

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 入社式やオリエンでは原価率さん、“武田真治”(仮名)と離れた席になってしまったが、その後の歓迎会で同じテーブルに再集結した。もう一人の男性も加わり、4人で雑談。この4人には30代で中途入社という共通項がある。

「何か質問はある?」「原価率はどれくらいですか?」

 一時的に混ざった本部社員に、原価率さんが質問を投げた。入社初日で経営面まで考える余裕があるのか。否、中途ならそれくらい当たり前なのかもしれない。彼の前職はバーテンダー。ちなみに陽キャで、私より5つも若い。同じ30代中途といえど、雲泥の差は確実にある。

「お前は10年を無駄にした」と、前職の社長に言われた。私は高校中退で10代を棒に振り、社会人としての成長もろくに出来ず、20代も無駄にしたのだ。26歳から31歳までのコンビニ勤務が長すぎる上にほとんど何も学ばなかったのは今でも痛いと感じる。仕事に追われるだけの日々を送り続けた者の末路である。20代をどう生きてきたかで30代の言動が決まると気付いたのはほんの数年前のことだ。

 38歳にして再スタートを切る権利を貰った。年齢的にもラストチャンス。どんなに辛くとも、ここから先の転職は相当厳しくなる。

「この会社に骨を埋めましょう(笑)」

 新卒の社員が冗談半分で放った言葉も、退路を断った私にはリアルガチに聞こえた。そもそも31歳で入った前職ですら最後の就職だと思っていたくらいだ。勤続最長記録6年半の私が、今度こそ定年までの30年弱を同じ会社で乗り切らねばならない。その為にも最初こそが肝心であることは重々承知していた。

 しかし、立食形式に伴う疲労とそもそものコミュ障が災いし、私は一時離脱、バイキングの料理を黙々と口に運ぶだけになってしまった。30分が経過。このままでは、これまでと同じだ。敗北の歴史を繰り返すだけになってしまう。前職までと何か違うことをしないと。使命感に近い何かが私の脳内で働き始めた。

「LINEグループ作りませんか?」

 30代中途組のテーブルに戻り、タイミングを見計らって私は発言した。似た境遇の同期同士で情報共有やメンタルの支え合いをすれば、激務でブラックな飲食業も乗り越えられるのではないか。3人は賛同してくれた。

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 私の踏み出した一歩は、あまりにも小さすぎるのかもしれない。それでも4人だけのLINEグループは開設10日目にして既に70以上の発言があり、仕事に関する込み入った質問や共有がなされている。配属店舗は2、1、1で分散し、私は今日も孤独との戦いになるが、近々飲み会で4人の再会が実現できるかもしれない。小さな一歩は大きな意味をもたらした。

 仕事のほうは予想通り、否それ以上の激務であるが、学生でもこなしているのだから何とかなるのかもしれない。絶対に辞められないと覚悟を決めたからこそ理不尽も無慈悲も(少しは)割り切れるようになったし、(少しは)希望を持てるようにもなった。新卒組は何人生き残るか不明だが、我々30代中途組は乗り越えてきたものが違う。どんな困難にも絶対に打ち勝つ。4人で。

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